絶対音感レッスンしてません!

時々、それでもお伺い立てられることがあるのは、「3歳からピアノのレッスン受けると絶対音感が身につきますか?」というご質問。

解は超単純「身につきません。もし絶対音感がそれで身についたらレッスンの賜物じゃなく、先天的なものです。」

ある種3歳の神話(3歳というのは神話が多い。)または絶対音感の神話というのは近頃薄まってきたような気はするのだけれど、まだ健在ならしい😥

なんで絶対音感なんだ?の神話は要するに、絶対音感というものがある種のジョーカーやマスターキーみたいなもので、これ手に入れさえすれば全てにOK!(^^)!て、思われてるらしい。またそのような事を言う人もいる。

この場合絶対音感がマスターキーなのは絶対音感があれば、簡単にピアノが弾ける。すぐに上手になる。ピアニストは絶対音感がある人が多い?(ホントだな。)

そうか、わたしが下手なのは絶対音感がないせいなのか?だがだ。絶対音感があってわたしより下手なヤツがいるのはどう説明するのよ。かくの如く、絶対音感あってもピアノは簡単に上達するもんじゃありません。

絶対音感があれば耳コピは出来るし、楽譜見なくても聞いただけで弾けてしまう。というのも、どうよ?わたしだって絶対音感なくて、相対音感もあやしいほうなのだけれど、入門初心!の16小節くらいの曲ならば1回聴けば弾けますぜ。

もっと難しい曲のことよ。っても、5声のフーガ聴いただけで弾けるはずないと思うけど、そりゃ1声体づつ分けて聴けば弾けるかも知れないけど、何10小節も覚える記憶力のキャパが問題になるし、1声づつ聴いてつなぎ合わせるって作業するなら、最初から楽譜見て弾いた方が早いだろうよ。

そしてここから真面目な絶対音感のレッスンについて。

絶対音感のレッスンは通常の3歳児4歳児の幼児向けピアノレッスンとはまた別物と思った方がいいのです。幼児教室のソルフェージュは絶対音感のレッスンには良からぬモノの方が多いのです。

絶対音感とは文字通り絶対的に、手がかりになる音からの高低を感知しないで音高が分かることです。不思議なことに先天的にこの感覚がある人はあるのです。先天的にないのならば、訓練でこの感覚を身につけて仕舞おう。ってのが絶対音感の訓練レッスンです。

一応わたしもこのプログラムがどんなものであるかは研究はいたしましたので、およそのことは解ります。

通常被験者?!は2歳から6歳。小さければ小さいほどいい。という意見もあるのですが0歳児に通用するのかどうかは解りません。多分無理だと思います。

用意する物はピアノと、日々練習の面倒を見る大人。そして絶対音感のレッスンをしている教室とその講師。

和音の聞き分けでこの訓練はスタートします。だが、ここで不便なのは例のドレミ唱法。最初のドミソはいい。これは問題なし、だが、黒鍵音が入ってくるとファシャープ、レシャープでは言いにくい。したがってドイツ音名を使う。ドイツ音名はグローバルスタンダードにはなり損ねたものの、ドイツ的合理主義のためかいちいちないなにシャープ、何々フラットと言わなくてすむ。ドのシャープはチス、シのフラットはべー。

なので、ドミソはツェー、エー、ゲー。ドファラはツェー、エフ、エー。お次、シレソはハー、デー、ゲー。(西ヨーロッパ言語で書けよ!って言わないで、この方が日本語のブログなんだから分かりやすいでしょ。)

このドイツ音名、音大の学生辺りが言ってりゃいかにも専門家っぽく聞えるけど、3歳児だよ?冗談みたいじゃないかいな。

というのはわたしひとりの感想ではないらしく、近頃は色旗を使うというのがトレンディぽい。ドミソは赤旗、ドファラは青旗、シレソは黄色旗。聞き分けが上手になるとだんだん旗色は増える。

これを毎日何回か行います。当然ひとりじゃ出来ないので大抵は親が毎日和音を聞かせて旗揚げをお子様にさせるのです。週に1回先生のところで進捗状況を報告してチェックしてもらいます。

おそらくはその間ピアノその他音楽のレッスンは受けない方がいいのです。調性感が着いてしまったら絶対音感にとっては良からぬ事態に追い込まれるからです。

相対的に音を聞くことも絶対音感の練習にはよくないので、音楽を聴いたり歌を歌うのは控えましょう。出来たら幼稚園の先生に相談して音楽会等も外してもらったほうがいいかと思われます。

なぜならこれら、音楽を聴く歌う。ということは相対音感の訓練です。おかげさまで最近は音楽鑑賞が大変身近なものになったので、3歳児といえども相対音感がある子というのものが存在するのです。

でも頑張りゃそれだけの見返りあるんでしょうが?が、アヤフヤなのが困ったところでどうも、訓練期間中相対音感がメキメキと発達しちまったらこれやめにするらしい。

ついでに絶対音感の和音の弾き方について、短く切って弾かなければなりません。いつぞや、某大会社の音楽教室のコマーシャルで幼児たちが講師のピアノに合わせて、どーー、みーー、そーー~♫と、歌い。先生がじゃああああーーんと、ピアノでドミソ弾いてるのがありましたが、あれは単なる和音聴音で絶対音感のレッスンじゃありません。あんなに長く和音引き延ばして弾いたら倍音が響いてきて絶対音高じゃなくなります。

全て和音は短く切って弾いて、先生からの指示どおり日々旗揚げ訓練をおこない更に言えばこれは個人でなければ効果ありません。

わたしは絶対音感信仰はないので絶対音感のレッスンは行っておりませんが、それでも絶対音感があれば我が子の人生が100倍は豊かになる。と、思われる方は絶対音感教育のピアノ教室←で検索いたしましょう。わたしのブログも出てきちゃうかと思われますが、懸命にレッスンしてくれる教室が見つかります。

6歳の6月6日

今日は6月6日。6月6日はなんの日だ?

6歳の6月6日に芸事とりわけ楽器の芸事を始めると上達する。6月6日はそう言われる日です。

根拠あると思いますか?ありますよ。多分これはまだ、年齢が数え年の頃の言い伝えで、数え年だと生まれたその日から1歳。翌年明けで2歳と数えるので今の満年齢の6歳よりは年齢が小さい。

この年の取り方だと、12月生まれなんざソッコーで2歳になってしまう仕組みでなんだか変には感じるけど、今だって4月生まれだろうと3月生まれだろうと4月に入学3月に卒業なのだからみんながそうならそんなもん。だったんでしょう。

つまり、なんで6月6日なのかはよくわからないのだけれど、(単なる語呂合わせかもしれない。)数え年の6歳、満年齢だと5歳くらい。というのはピアノを始めるにはいい年頃だと思います。

小さければ小さいほどいいんじゃないの?という、反対論証があるでしょうが、この言い伝えは今現在の話ではないのです。この言い伝えが出来た頃はプレレッスンとでも言えるようなリトミックや幼児教室が発明される前の時代の話なのです。

今だって、練習してきたものをみて注意して良く出来ていれば合格、まだなおすところがいくつもあれば注意して練習すること。みたいなカタギのレッスンは年長さんくらいになっていればすぐ始めることが出来る。

昔風に稽古をつける。っていうのは数えの6歳くらいになればからだも大きくなってお琴や三味線を演奏し始められて師匠の言うことも理解出来て集中して稽古を受けることができるようになる。

座敷や長屋の上がりがまちで小太鼓使ってリズムうちしたり、師匠の伴奏?!(お囃子?)でお歌を歌ったり、バタバタと歩いたり走ったりしてたとは思えないもんね。3歳、4歳のレッスンはこんな感じ。

それに多分現在より6歳というのはかつては大きな意味があったのだと思うのだ。その昔(わたしが子供の頃より昔)7歳までは神の内。といって、子供がバタバタといまだったら簡単に治ったような病気で死んでいったのだ。

6歳は7歳のボーダーは超えてないけれど、753でいう5歳のボーダーは超えた。もう持って行かれないだろうという念願と感謝がこもっていたに違いないのだ。

それじゃもっと小さい頃から始めるレッスンは意味がないのか?といったらそれは違う。今は数え年6歳以前のレッスン研究が進んだのだ。

数え年6歳以前を対象とするレッスン。リトミックの研究会のまとめ役の人と話した時、わたし的には3歳4歳は教えるの難しくって、、。とコボしたら、。「4歳児は神です。」って、リトミックのレッスンからすると4歳児というのは飛躍的になんでも出来るようになる。(ホントかよ?!)

うちだって数え年6歳からとそれ以前は教材からして学齢期以前のを使ってる。

その年頃が芸事始めるのに最適。というのは、文部科学省だって6歳という年齢を学学齢年齢と定めているのです。リトミックレッスンはとにかく、5歳6歳(満年齢です。)になると子供は変わるのです。

この年齢を学習年齢。というくらい。遊びの要素なんて入れなくても学習してくれるのです。

というと、じゃ、この年齢逃すと芸事って上達しないのか。っていうと、大丈夫です。そんなことはありません。

12歳、13歳で始めても上達はします。これくらいの年齢だと,親や周囲の大人の奨めじゃなくたいていは本人の希望です。そこが強みなのだけれど、中学生くらいになるとピアノに専念出来る環境ならいいのだけれど、中学生になると塾だとか部活だとかで急に忙しくなる。

部活しないで塾はほどほどにしてりゃ、上手になるのでこの年齢で始めるのも全くOKですよ。昔は12歳でもいい。なんてことはなかったんでしょう。だって、そろそろお嫁に行く年齢だもの。

そのように6月は習い事に縁のある言い伝えがあるのですが、6月は湿度が高くなるのでピアノにとっては受難の季節、せいぜい空調かけて除湿に努めておりますが、この季節こそヤマハで良かった。と、思える季節。湿度高くても健気ににうちのヤマハは音がでてます。

ピアノレッスンフルコース

わたしがピアノ教室始めるに当たって、夢で憧れだったこと。それはグランドピアノを横並びにして、フルコースのピアノレッスンすること。

ここでのフルコースは()付きでハノン、エチュード、バッハ、曲をレッスン。

今となっては壮大な夢。叶いそうもない夢、見果てぬ夢になってしまった。だがそれはエチュード、バッハ、曲をいっぺんに持ってくる生徒がいつまでも育たないからでしょ?ではない。

それは叶うかもしれないじゃないか。そこまで打ち込んでくれる生徒が出てくる可能性はゼロじゃない。

叶いそうもないのはハード面のことだ。わたしの家ではグランドピアノを横並びに2台置く床面積がない。カワイの営業の人に部屋面積計ってもらったら互い違いにだったら2台置ける。

それも、壁面に置いてある家具を全て撤去しての話。どうしても2台横で置きたければ壁を抜いて今は台所になっているスペースまで広げなければ不可能。だが、この家は住居兼用なのでムリ。だいたい壁を抜くってのは家自体の強度の問題もあるのだからハウスメーカーさんに相談しなきゃならない。

家つまりレッスン室問題はそのようなワケでなかなか、ピアノ2台横置きの夢は叶いそうもないのだが、エチュード、バッハ、曲フルコースでレッスンする方はどうだ?

と、いうのも可能性としてはゼロじゃないにしてもキビシイことは厳しい。そもそもツェルニー30番相当まで到達する。でも、エチュードはイヤだ。という、ブルクミュラー18の練習曲でもピアノの練習ラジリテーで気が進まぬ。という。

ならば、バッハのインベンションをレッスンしましょう!っても、ツェルニー先生より皆様はバッハ大先生が嫌いなみたいなのです。もっとも、バッハのト長調やト短調のよく電話の保留に使われてる可愛い舞曲や、フランス組曲のカボット、更に硬派な平均律のハ長調のプレリュード辺りは率先して弾きたがるのだけれど。なんでそんなにインベンションを嫌うんだ。

要するにツェルニーと違ってバッハの音楽そのものが嫌われてるわけでもないのだが、ただ、インベンション嫌うのはわたしもわかる。これは伴奏、及び伴奏とおぼしきモノがないのだ。右も左もメロディーでそれがまたバロックバロックしている。

2声ならば右手のメロディー左手のメロディー別々に弾いて、それ合わせりゃいいんだから簡単じゃない。と、思うのだが、そうはいかない。だってメロディーあったらそれに合ったコード付けたくならない?なるよね。でもインベンションはそれがナシなのだ。

つまり何時までもマッチングしてくれない。なので苦労する。だけれど苦労した割にはベートヴェンのソナタやロマン派曲のような派手さがない。

なかなかフルコースのレッスンに到達してくれないのよ。

ならば、生徒はおいといてわたしがもういっぺんフルコースのレッスン受けてみたら?それはいい。実はここ2,3年も1度フルバージョンのピアノ練習して「どうよ!(^^)!」と、レッスンに持って行きたい願望はある。

だが、それも厳しいものさ。レッスン代もかかるし、練習する時間を確保しなきゃならない。

わたし昨日も学生の頃、神経病むくらいピアノが向いてないんじゃないか?って悩んだ。って書きましたが、そうよ。そんなことは本当になかったんだ。向いてなかったらこの歳になって、エチュードや平均律練習して先生探してみてもらいたい。なんて考える筈ないもん。

エチュード、バッハ、曲のフルコースはそれはそれ。うちでだってフルセットのレッスンはしております。それは、テキスト(つまりかわいいエチュード)好みの曲、セオリー(楽典ですぞ)音楽ノート(聴音)のセットです。

そのようなセットのレッスン行っておりますので生徒募集中です。と、言いたいとこですが、今のところ日々レッスンが埋まってきたのと、わたしがフルコースのレッスン受けるのはまだムリとしても多少はピアノ弾きたいのと、ブログを書きたいので、大々的な生徒募集は打ち切っております。

ですが、まだ多少の空きはありますのでレッスン希望の方はご連絡ください。

ツェルニー30番やめていい?

ツェルニー30番やめていいか?!

ツェルニー先生嫌われる。そんなにツェルニー30番がイヤならば、ではもっと曲っぽいエチュードもしくは、フランス系エチュードならどうよ?と、思ってブルクミュラー18の練習曲やピアノの練習ラジリテー奨めたりするのだが、どうもツェルニー30番が嫌い。というのはエチュードが嫌い。の同義語ならしい。

エチュード練習しなきゃ上手になりません(* ̄m ̄)って、泣こうが喚こうが、ソドレミレド、ソドレミレド弾かせるのが王道なのかよ?とも、思うのですが、ゴーインな、ソドレミレドは「ピアノ嫌いになった!」っていうんで、せっかく続きそうなピアノをやめてしまう事態にも陥りかねない。困った問題だね。

だが、強引なソドレミレドはけしてピアノを嫌いにしたわけではなく、正確にはエチュードが嫌い。なのですが、エチュードというのはその通り、練習曲で練習すればピアノは上手になる。上手になれば名曲、難曲でも弾けるようになる。だからヾ(^v^)k嬉しい。という論法なのだけれど、、、。

ツェルニー30番くらいまでになると、そもそもエチュードが嫌いのなんのという理由よりも年齢的に時間的制約が厳しくてエチュードを後回しにしている。ということもある。

だが、そんなにエチュードって嫌いか?ツェルニー先生の作品なんざ永遠にリサイタル、コンサートで弾く日が来るはずないんだから、やる気が起きない。というのも解らないでもないけれど、強面のエチュードこそ、こいつを攻略してレッスンで1音も間違えずに指定のテンポどおり弾いてドヤ顔してみせる。という気にならないかい?

時として、エチュードばっかり練習するというワナに嵌まることもあるのだけれど、これ攻略すれば絶対上手になれる。ベートーヴェンの後期ソナタがメじゃなくなる。その気合いでやるのだp(^^)q

だが、どうもこれも誰も彼にも当てはまるワケじゃないらしい、、。

大きな曲、難しい曲が弾けるようになるにつれて当然難しいエチュードで練習して技術力を高めていくのだけれど、曲が大きくなれば譜読みから練習する時間も増量する。だが、少年少女の場合年齢が上がれば練習する時間は乏しくなってくる。

なので、まずはエチュードからやめよう(#^.^#)もしくは最初っからツェルニー30番は嫌いだからヤメにする。と、宣言することすらある。

まぁ、仕方ない。指の独立やスケールアルペジオの訓練はハノンやこどものスケールアルペジオで学習するにして、だが、ツェルニー30番やらないのならば、音大受験はヤメににしてくれ。専門教育機関はエチュードは必修なのだ。エチュードの試験もある。入試にあるかも知れない。音大のピアノの先生にエチュードやりません!は絶対NG。許してもらえない。

わたしはかつて高校の音楽科または音大というものがわたしには合ってないんじゃないか?って悩んだ時期があった。自律神経がおかしくなるほど悩んだ。

今でも全てにおいてマッチしてた。とは思わないけど、本当に相性が悪ければ、あんなに攻略だワオーー!!!(^^)!といって、血眼になって、マナジリつり上げてエチュード練習した筈ないじゃないか。

世の中にはエチュードをあんまり必要としないタイプの人というものが存在するのです。ですが、そのような人に限ってエチュードが好きだったりするのです。ツェルニー先生とて万人に嫌われてるワケではないのです。