クラマー・ビューロー60の練習曲

ツェルニー40番が終わる頃、ではでは次はツェルニー50番かクラマー・ビューロー60の練習曲かな?

が楽しみヾ(@⌒ー⌒@)ノ

なんだかこのところ、わたしこの手のエチュードに気が向いてて、このように書いてるとエチュードマニアかいな?
と、思わえるかもしれないが、わたし今も昔も生きてるうちに1曲でも多くのカタギ?!のエチュードモノにしてやる!

と意気込むタイプでは全然ありません。
そうだったら「わたしを野球に連れて行って」みたいな曲練習してません。

けれど、いい年になってもエチュード1冊上がるののって嬉しいものなんです。

結果としてわたしはツェルニー40番の次は50番に進みました。
50番が全部終わったそののち(もうそのときは嬉しいの嬉しくないのって無茶苦茶嬉しかったですよ。)クラマー・ビューロー60の練習曲に入りました。

そのときは、わたしもしかしてこっちクラマー・ビューロー先にやったほうが良かったんじゃないか?
ツェルニー50番でさんざ苦労したこと考えると圧倒的にクラーマー・ビューロー60の練習曲は弾きやすかった。

そうよ。わたしクラマー・ビューローさんのほうが相性いいんだわ。
だが、これは間違い。
間違いその1は、クラマーとビューローは一人の人のファーストネームとファミリーネームではなく、クラマー先生が作曲者、ビューロー男爵が編集。
もとは84曲あったのを60曲にまとめた。だから、番号がふたつついてたりするが、そのへんは深く考えるのはよそう。

何故かエチュードもだんだん単純でなくなる。

きっとビューロー男爵は後世の人間にこのような練習曲を84曲も弾かせるのは可愛そうだ。と、考えてくれたのであろう。
曲を作曲したヨハン・バプティスト・クラマーは1771年~1858年、この人18世紀生まれにしては長寿ですね。多分ドイツ人です。
ピアニストにして作曲家。

ハンス・フォン・ビューローはドイツ人名前で分かるとおり貴族です。1830年から1894年。
それですのでこのお二人、あまり時代を共有しているとは言い難い年代を生きていたはずです。

ビューロー男爵がなぜそのような考えを起こしたかというと、この方もピアニストにして指揮者だったのです。

ビューロー男爵の名はこの練習曲にもよりますが、この先生リストの娘コジマと結婚いたしました。
だが、先生その嫁に逃げられる。
逃げた嫁コジマはなんとまぁ、ワーグナーの彼女になっちまった。ワーグナーは相当なワルで、リストの娘は尻軽じゃあないですか。

このコジマ、ワーグナーのロマンス、普通に言えばスキャンダルの被害者としても名を上げました。





クラマーとビューローは別人、そして次のツェルニー50番より難易度低し。
に、ついては、つまりはわたしはツェルニー曲50曲弾いたあとだったのでクレメンティのグラドス アド パルナッスムが易しいように感じたのと同様。

ただ、クラマー・ビューローは2ページの曲が多いのでそこが楽には感じられる。
そして1番がドレミファソファミレではなくCのコードのアルペジオから始まってドレミファレミファの音型が上がっていく。
なんだかエチュードってより曲っぽいわ♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

プレリュードみたいなのが多いのかしら?
の期待は進むにつれ裏切られ、あらあらLentoのエチュードあるじゃない!流石にクラマー・ビューローだわ。
だがこの15番、エンエン4ページトリルの連続、その後は3度、3度多し。

エチュードだ。ものすごくエチュードだ。
とうとうたどり着いた60番。
但し書きには、先生はこれを生徒が見て落胆してしまわないように(つまりすごーく難しいんだよ。とオドしてる。)励ましながらレッスンしましょう。
と、いうようなことが書いてある(大昔の全音出版)。

わたし、これくらい何さ(`Δ´)!ショパンエチュード考えりゃ、これくらいコドモさ。
のノリで乗り切りクラマー・ビューロー60の練習曲全曲あげたのです。