スタカティシモ

楽譜を目をこらしてよーく見ましょうね!
見ていると突如現れる「これ何よ!!???」

そのようなことが無いようにセオリーをお勉強するのです。

それで良いのですが、ピアノレッスンと同時進行で楽典を教えるという発想の無かった時代の(多分)教本には「これ何よ!?」が遠慮無く現れる。という事態に時折遭遇いたします。

「これアクセントですか?」の質問。
イヤ違う。これは、スタカティシモ。なんだそれは?(わからなくてよろし、だいたい変換しないよ。)
スタッカーティシモあるいはスタカーティシモとも読むが、これはイタリア語。
破裂音は発音してもしなくても良いらしい。

綴りはStaccatissimoです。
これの意味はスタカートより短く切って弾く。

スタカートがその音符の半分の長さの休符を挟むイメージで弾くのに対して、スタカーティシモはその音符の4分の3の長さの休符を挟むイメージで弾く。

なんとわかりやすい解説ではないか!わたしの高校生の頃の楽典教科書に書いてある。

ホホホ、わたしよくぞいにしえの昔の高校生の頃の教科書なんて持ってるものよ。

それじゃ国語や数学の教科書も持ってるか?って、な、分けないじゃ無い。
そのような物はとっくの大昔に地球上から消滅している。

だが、そのような分かりやすい説明に対して「余計わけわかんなくなる。」

それはそうであろう。わたしの場合は楽典の試験範囲であったならば、そのように回答すれば合格。
「気分的にスタカートよりも鋭く。短く切る音をイメージする。」では、間違いではないが正解ではない。

場合によっては追試を受けさせられる。
「だって、ピアノの先生はそう言ったもん。」なのだが、実践と理論は違うのだ。オノレも専門教育受けるならば、考えて答えを出すのだ!
くらいは言われる。

そのスタカートとスタカーティシモが混在している楽譜がこれ。

この楽譜はいったい誰が使ったのか?謎なのだが、とにかくうちにある。

書き込んであるので、汚いが赤い丸がついている音符玉の上に点があるのがスタカート。およそ、この場合は4分音符の半分の長さで弾いて、引き算した残り、つまり8分休符分の長さの休符を挟む。

黄色い丸印はスタカーティシモ。くさび形のマーク。この楽譜では16分音符分の長さで弾くのヤメにして付点8分音符分の休符を入れる。
時々、アクセントと間違えるが、アクセントは青丸と緑丸。

スタカートが音符の半分で、スタカーティシモが4分の1ならばその通り記譜すりゃいいじゃないよ。
いえいえ、それ言うのならば装飾音符こそそう言ってやればいいのです。

スタカート、スタカーティシモは感性及び表現の問題で単なる時間的経過ばかりではないのです。
スタカートは軽やかに切って弾く、スタカーティシモは更に鋭い感じで弾いてゆきましょう。

そしてこの、スタカート、スタカーティシモ、2種類のアクセント記号から、クレシェンドにディミニエンドまで盛りだくさんの楽譜はバイエル97番です。
ということは、わたし5歳くらいでこれ弾いてたことになる。

懐かしいでしょう?なんてことはありません。
幼少のみぎりこの曲さんざ母親にオドされながら弾いていたことはもう忘れています。

わたしがよく覚えているのはバイエル以前にいろおんぷで、指に毛糸を巻き付けられたのがイヤでたまらなかったことです。

だが、この段階でよくもまぁこれだけいろんな記号出してくるものだ。と感心しつつ呆れますが、文句はバイエル先生に言おうにもフェルディナント.バイエル先生は1863年に亡くなっております。

1863年ってどれくらい昔なのよ。生年は1803年なので生まれてからはゆうに200年は経っております。





秋のイギリス館

9月末にイギリス館で行われたイベントは終わった。
だが、とうとうピアノの練習は間に合わず、、。

だが、春にあのピアノ嫌いだ!と、言ったもののやはりイギリス館のピアノは弾きたい。
さてどうしたものか?

それでだ!なんで今回こうもピアノが弾けなかったかというと、、。

横浜市がしつこく嫌がらせするからだ!
と、いうのもある意味根拠はあるが、言いがかりといえば言いがかり。

利用承諾書は結局わたしは受け取ってて郵送していた。
イギリス館におたくは何者?!代表者なの?と、言われたものだから利用承諾書のことなんかぶっ飛んでた。

8月の殺人的な暑さでへばったのか?も、根拠無し、ピアノは炎天下では弾かない。
空調の効かない密室でも弾かない。

ピアノのためにも家のためにも演奏者のためにも空調は効かせる。

そうだ。8月のお盆のシーズンからわたしはすぐにへばるようになり、からだがダルくて重い。集中力が無い。
これはピアノ演奏には非常に良くない傾向で、ピアノの練習には体力も集中力も必要だ。

どうしたんだわたし!?
生徒のレッスンはなんとかおこなえるものの自分が弾くとなると脱力感と無力感でやる気が一挙に失せる。

わたし結核にでも感染してるじゃないか?これは困る。
でも変!?なのは結核ならば微熱が続くはず(だと思う)だが、わたしは異様に体温が低下している35度代は当たり前で、34度くらいまで下がることもある。

何これ??!

もしかしてこれは睡眠不足のためじゃないか?
猫日和というブログでこの猫問題は詳しく紹介するつもりだけれど、病気持ちで老いぼれていてかつ、いくらかボケはじめている猫がわたしを夜1時間おきに起こすのだ。

1週間のうちどこかで、昼間ででも寝てられる日があれば凌げたのだろうが、残念そのような日は1日も存在しない。





これは猫に起こされてそれで睡眠不足から体が悲鳴上げてるに違いないのだ。

冬になって寒くなれば猫も朝までわたしのベッドで眠ることになると思う。(ならないいかもしれないけど。)
それまでは、猫よわたしはもう起きてやらないから好きなだけ部屋の外であばれていれば良い。

そのように決意した途端、あらホント妙な倦怠感も疲労も消え失せ、さて次は冬に向けてピアノの練習が始まりました。

そんな簡単なことだったのか?

で、9月のイギリス館でのピアノ演奏はどうしたかっていうと、クリスマスも別口の曲も間に合わなかったので「少年時代」を歌付きで弾いた。
春に弾いた時よりも、イギリス館のピアノ良くなった。

そんなことがあるのか?
まぁ、次は春に向けて練習をしてそして猫と睡眠不足には気をつけるのだ。
ピアノを弾くにはやはり体力が必要だ。

相変わらずわたしが教室の主催者としてはイギリス館は使うことが出来ないのだが、この研究会は代表者が交代したので申告する5人のお仲間をもう一人登録しなければならない。

そのもう一人にわたしは選ばれた。
わたしは住所氏名その他を横浜市に申告し、次にイギリス館周辺を通る際には本当にわたしがわたしあることを証明する物、つまりは健康保険証、運転免許証、パスポートのいずれかを提示しなければならない。

11月の5日頃までには提示する義務があるので急いでくれって。

それには心配には及ばない。
わたしは新山下にあるホームセンターに行くにはみなとのみえる丘の公園でバスを下車する。
つまりイギリス館の真ん前だ。

このあいだ(4日)ホームセンターに行ったら改装工事中のため5日まで休業だと、、。

ホームセンターには用があるのだから近いうちに行くわ。

寝不足だとピアノが弾けない(T-T)

何事を置いても寝ることにしよう。





10月の抽選会

昨日、あかいくつ劇場から封書が届いた。
アラ、もう進行表とプログラムを提出して打ち合わせに出向く時期かしら?

そんなことはあるまい。
うちの教室の発表会は12月だ。今はまだ、(かろうじて)9月じゃないか?

その通り、早めに打ち合わせに来てください。
なんて通知ではありません。
予約抽選会のお知らせです!

1度でも利用したことがあればこのように、親切に抽選会日時を連絡してきてくれるのです。

わたしを締めだした横浜市の会館たちとは何という違いでしょう!!

来年の4月から9月までの会館利用の抽選は10月に行われるのです。
なので、来年4月から9月まで、会館を貸し出してもらえる日にちのカレンダーもついています。

抽選日はなんとか都合がつきそう!

夏の発表会も予約が取れるのならばあかいくつ劇場で行おう。

今年の夏の発表会の会場のカワイのホールはちと狭かった。
10人くらいの生徒の規模で行うならばちょうど良かったんだろうけれど、、。

正確にはカワイのホールではなくて、カワイ横浜ピアノサロンプラージュという名称。

少人数でのコンサートならば再度(省略して)プラージュを使わせてもらおう。




しかし、これで首尾良くあかいくつ劇場が夏取れたら、2回連続で同じホールでの発表会となる。

3回続けてもいいのだが、来年の冬はもう1度みなとみらいホールの小ホールに申し込んでみよう。

ただ、このホールは小ホールとはいえ客席400。
カワイとは逆で広い!

みなとみらいホールの小ホールは県の所有なので、わたしでも申し込める。
ただし、抽選の日が近づきました。
なんていうお知らせは来ない。

たしかここは、使いたい日の1年前の1日目に直接みなとみらいホールに出向いて、抽選の申し込みをして(まだそれだけじゃ終わらない。)翌日だか翌々日だかに抽選をする。

本人がくじ(実はわたしは直接抽選に出向いたことが無いのでよくわからない。)を引いてもいいし、職員に委託してしまってもかまわない。

わたしは一昨年落選の憂き目にあった。

横浜市には💔フラれたわたしであったが、横浜市の6ヶ月前の抽選。
というより、わたし的には1年前、そこまで出なくても6ヶ月より前にホールが決まっていたほうがいい。

出演人数が多くなればなるほど、準備期間を長めに取りたいからだ。

なので10月下旬はあかいくつ劇場の抽選に行ってきます。
そうよ。
それにはもうひとつ、この抽選、飛び込みはNG。
抽選に行くにもちゃんと予約をしてから出向く。

電話して抽選予約を取ってしまおう。





前世の記憶??!

わたしは前世、若くしてその生涯を終えた天才少年ピアニストであった。
幼くして華やかな舞台でスポットを浴びたものの、病を得、それが命取りとなった。
無念であった(T-T)

その無念さのあまり、生まれ変われるのならば才能は認められなくとも、演奏家としては超しょぼくとも、長く、健康に生きられる人生をください。
と、願ったのです。

そのとおり、生まれ変わったわたしは頑健な肉体に恵まれ、滅多なことではしにそうにはなく、それと同時にこれほどパッとしない演奏家がいるか?
ってくらい演奏家としては不作。

不作ではあるけれど、そう悲観はするなわたし。わたし程度にパッとしない。演奏活動じゃ残念過ぎるほど経済的に恵まれない演奏家なんざいくらでもいる。

クラシックのピアニストは需要がそこまでないのだ。

今、ここでなんで前世の記憶なんてある意味、オカルト、ある意味神秘的宗教的な事象を持ち出したかって言うと、、。

横浜市のパワハラだ。パワハラ。って騒ぎ無くても、いえ横浜市がわたし如きしょぼいピアニストそして全くの個人でやってる音楽教室主催者に優しくても、要するに問題はそれだけじゃない。

音楽教室主宰していると、今後は教える事に徹して自分が弾くのは諦めよう。と、思ってもやはり、自分のピアノの練習はしたい。そして何処かしらで演奏したい。

と、考えるようになる。
わたしは血が演奏家なのかもしれない。

だが、根本的にピアノの練習する環境がなかなか整えられないのだ。
ピアノは徹夜で練習するわけにはいかない。
したがって昼間の時間は貴重だ。

ここ何年か、やっとピアノ練習出来るか?!と、思ったら猫が病気。
週に3回の猫病院通い。

それに加えて、うちは2年半前地方に赴任した息子が車を携えて行ってしまった。
なので、バス及び電車で動物病院通いをする。
それは行き帰りに買い物をしてしまうことが出来ない事を意味する。

昼の時間をガリガリと削り取られていくが、猫を見殺しにする気になれるか?なれない。

家事、猫の世話、家族の世話、さらには音楽教室業務も外注しちゃったら?
と、言われたことありましたがね。それが出来れば、、そこまでわたしがお嬢さんだったら演奏活動だって出来るのです。

タダでさえ、演奏活動は儲からないのだよ。
音楽教室だって家事、育児ならぬ猫児?外注出来るほど儲からないわ。





そこで、妄想とも空想とも、はたまたひょっとしたら真実かもしれない前世の記憶が蘇るのです。

わたしは、あきれるばかりの健康と引き換えに華やかな演奏活動を犠牲にするように前世で取引していたのだ。

そう思うことにしよう。
今の状況じゃ、1日3時間のピアノの練習時間確保することとて無謀だ。いえいえ、無理。

そう開き直ることに決めたわたしは更に健康状態を良好に保つために、うちから最も近い大きな公園、根岸森林公園を散歩することにした。
強引にでも練習してやろう試みて、ヒッキー状態続けたら、あるときドカーンと気分が落ちた。

ここでうつ病になんかなったらたまらない!
ヒッキーはハートの健康に悪い。

わたしは鬱病気質じゃないのだけれど、無理が高じればハートは破ける。
ハートが破れないようにするためには、適度の運動と気晴らしが必要だ。

気晴らし、といってもわたしは酒は飲まない。
煙草も吸わない。

運動は週に1回か2回(都合つかなきゃ0)バレエのレッスンに行く。
運動+気晴らしが散歩。

根岸森林公園は最近山羊(本物の生きてる山羊だ。)を雇った。
山羊なんか見に行ったって何になるのよ?
と言うな。森林浴はハートに良く効くのだ。

なので、前世の記憶を妄想しつつ絶対的に不足している時間の中、パワハラだ!と、騒ぎつつも懲りずになんとか練習しております。





読譜と聴音の狭間で

わたしは読譜が出来る。
あんたピアノの先生なんだから当たり前だろうが!
そうです。当たり前なんですけれど、わたしは読譜なんざさほどの特技、技能でもなく楽譜をしつこく見てりゃある時、なんとなく、またはある時突如鮮明に解読してゆけるものさ。

と、タカをくくっていた。
なぜか?それはわたしがそうだったからだ。

音楽科の高校に入学したときだって、ここにいる高校生たちは全員音符玉オタマジャクシ追いの名人なのであろう。
更に言えば、わたし如きより、、。

確か隣の席に座る少女に「あなた譜読みが早いみたいね。わたしは読譜苦手で新しい曲もらうと譜読みするのにとても時間かかるのよ。」
とお褒めにあずかったときも、そりゃまぁ、初見の苦手な人だっているだろう。って、そんな言葉はスルーしてた。

その時期はここに書き切れないほどの克服すべき事象を抱えていたので自分の譜読み能力についての査定なんざ2の次3の次、優先順位からしたら100番目くらいにしか相当してなかった。

わたしは譜読みは早いし、楽譜の観念の理解も苦労しなかったし、当たり前にブラインドタッチは出来てた。

だが、困ったことに暗譜が出来ない。(今は出来ます。今でも苦手ですが。)音感なくて聴音の成績が惨憺たる有様。
もうこれだけで、ドカーンと落ち込む原因と結果には事欠かず、落ち込んだからってウツウツとした日々を過ごせば事態はよけい悪化することは目に見えていたので、泣きたい日々過ごし、実際に泣きつつもなんとか解決を図ろうと必死になった。

聴音については聴音なんざ1回聴けばたちどころに採譜してしまう少女になんで出来るのよ?
と、お伺いたてましたよ。

後から思えば、音感があって採譜が好きな人にはそもそもなんでわからないかわからないのだろうけれど、「慣れよ。」
とのこと、中学からここの学校にいて聴音の問題をさんざやったから慣れりゃ出来る。

これはある意味、真実。
その惨憺たる成績の聴音もわたしは高校を卒業する頃には平常成績まで上り詰めた。




その後、講師となって「幼少の生徒には音感訓練をいたしましょう。学齢期前というのは音感が身につくとても良い時期です。」
というポリシーの講習会を幾たびも受け。

これも半分くらいは当たり、幼少期適正な音感の訓練受けてりゃ14歳であんなに苦労することは無かったでしょう。
でも半分はハズレ、音感もいい人は訓練しなくてもいいのです。

だが、講師としての実践を積むと音感より何よりいつまでも譜読みの観念がわからない。及び曖昧。
な生徒に多々遭遇。そして「音感なんかより、譜読みのほうをなんとかしなきゃ。何のためにピアノ習いに来てるのよ。」
の意見(講師から)。

いや、聴いただけ弾けてしまうのはうらやましいし、暗譜が早いのもうらやましい。

だが、そうも言ってられない。というのは、すべてのピアノ曲を聴いて弾くのは不可能だ。
さらに、楽譜をあまり見ないで弾くというのはブラインドタッチが出来てない。出来ないと、目で音符玉を追いながら弾けないので間違いだらけでそれをいつまでもなおせない。

更に楽譜から作曲者の意図を読み取る。という作業がろくに見てないもの出来ないじゃないか!

そうか!それは困る。いつまでも先生が一緒に譜読みしてやるわけにもいかないねー。

つまりわたしと逆で、音感があって暗譜が早くだいたい聴いて弾けてしまうけどいつまでも読譜が出来ない。
タイプ。

大手から独り立ちして音楽教室主宰して読譜の観念をお勉強させるためにその名もセオリー、つまり理論をコミで学習させているが、何故か直感的に読譜が出来てしまう少年少女もいるが、譜表の観念がいつまでも怪しい。という子供もいる。(大人もだけど)

4分の4拍子、つまりは1小節に4分音符が4つ入る。が、理論としてはとにかく、聴音すると字余り、音符が足りない。が平気。

あるいはいつまでもドレミのフリガナをつけたがる。

わたしは今は初心者でも大譜表を使った聴音をやってるが、これはもちろん最初は音感のため。と信じていた。
だが、徐々にこれ読譜の訓練に最適なんじゃないか?と気づく。

文字だって書いて覚えるように音符だって実際に書いてみるのは、いい読譜の学習と信じている。
そもそも、幼少期には音感の訓練を!
と、いうのもなんだか平成の世になった頃からむなしくなった。

シャカリキにドレミファソーラファミッ、レッ、ドッ♩やらなくてもみんな音感いいのです。

それでは聴音のお稽古で読譜の苦手はバッチリ解消。
になるかというと、これまた、いい対処法にはなるけれど決定的ではない。

リトミックを取り入れたレッスンしてる先生がだいたい読譜は理系脳と連動していて、算数の得意な子は譜読みが上手だ。
と、話してくれたけれど、かといって算数の勉強に励めば読譜が上手になる。ってわけでもないと思うし、これの対処法はまずは1番は本人が読譜の苦手を克服しよう。

という気になってくれること、譜表の意味を理解しようと努力して、出来るだけフリガナをふらずに読むようにする。

そして、ここが大事なのは自分は譜読みに時間を要するタイプなので譜読み時間の調整を最初に考える。こと。
わたしはその逆で、暗譜に要する時間を多くとるように調整いたします。

ここで、わたしのところにくれば読譜が苦手なんてたちまち解決して差し上げますわ!
と、言えればいいんだけれど。残念!