前世の記憶??!

わたしは前世、若くしてその生涯を終えた天才少年ピアニストであった。
幼くして華やかな舞台でスポットを浴びたものの、病を得、それが命取りとなった。
無念であった(T-T)

その無念さのあまり、生まれ変われるのならば才能は認められなくとも、演奏家としては超しょぼくとも、長く、健康に生きられる人生をください。
と、願ったのです。

そのとおり、生まれ変わったわたしは頑健な肉体に恵まれ、滅多なことではしにそうにはなく、それと同時にこれほどパッとしない演奏家がいるか?
ってくらい演奏家としては不作。

不作ではあるけれど、そう悲観はするなわたし。わたし程度にパッとしない。演奏活動じゃ残念過ぎるほど経済的に恵まれない演奏家なんざいくらでもいる。

クラシックのピアニストは需要がそこまでないのだ。

今、ここでなんで前世の記憶なんてある意味、オカルト、ある意味神秘的宗教的な事象を持ち出したかって言うと、、。

横浜市のパワハラだ。パワハラ。って騒ぎ無くても、いえ横浜市がわたし如きしょぼいピアニストそして全くの個人でやってる音楽教室主催者に優しくても、要するに問題はそれだけじゃない。

音楽教室主宰していると、今後は教える事に徹して自分が弾くのは諦めよう。と、思ってもやはり、自分のピアノの練習はしたい。そして何処かしらで演奏したい。

と、考えるようになる。
わたしは血が演奏家なのかもしれない。

だが、根本的にピアノの練習する環境がなかなか整えられないのだ。
ピアノは徹夜で練習するわけにはいかない。
したがって昼間の時間は貴重だ。

ここ何年か、やっとピアノ練習出来るか?!と、思ったら猫が病気。
週に3回の猫病院通い。

それに加えて、うちは2年半前地方に赴任した息子が車を携えて行ってしまった。
なので、バス及び電車で動物病院通いをする。
それは行き帰りに買い物をしてしまうことが出来ない事を意味する。

昼の時間をガリガリと削り取られていくが、猫を見殺しにする気になれるか?なれない。

家事、猫の世話、家族の世話、さらには音楽教室業務も外注しちゃったら?
と、言われたことありましたがね。それが出来れば、、そこまでわたしがお嬢さんだったら演奏活動だって出来るのです。

タダでさえ、演奏活動は儲からないのだよ。
音楽教室だって家事、育児ならぬ猫児?外注出来るほど儲からないわ。





そこで、妄想とも空想とも、はたまたひょっとしたら真実かもしれない前世の記憶が蘇るのです。

わたしは、あきれるばかりの健康と引き換えに華やかな演奏活動を犠牲にするように前世で取引していたのだ。

そう思うことにしよう。
今の状況じゃ、1日3時間のピアノの練習時間確保することとて無謀だ。いえいえ、無理。

そう開き直ることに決めたわたしは更に健康状態を良好に保つために、うちから最も近い大きな公園、根岸森林公園を散歩することにした。
強引にでも練習してやろう試みて、ヒッキー状態続けたら、あるときドカーンと気分が落ちた。

ここでうつ病になんかなったらたまらない!
ヒッキーはハートの健康に悪い。

わたしは鬱病気質じゃないのだけれど、無理が高じればハートは破ける。
ハートが破れないようにするためには、適度の運動と気晴らしが必要だ。

気晴らし、といってもわたしは酒は飲まない。
煙草も吸わない。

運動は週に1回か2回(都合つかなきゃ0)バレエのレッスンに行く。
運動+気晴らしが散歩。

根岸森林公園は最近山羊(本物の生きてる山羊だ。)を雇った。
山羊なんか見に行ったって何になるのよ?
と言うな。森林浴はハートに良く効くのだ。

なので、前世の記憶を妄想しつつ絶対的に不足している時間の中、パワハラだ!と、騒ぎつつも懲りずになんとか練習しております。