10月の抽選会

昨日、あかいくつ劇場から封書が届いた。
アラ、もう進行表とプログラムを提出して打ち合わせに出向く時期かしら?

そんなことはあるまい。
うちの教室の発表会は12月だ。今はまだ、(かろうじて)9月じゃないか?

その通り、早めに打ち合わせに来てください。
なんて通知ではありません。
予約抽選会のお知らせです!

1度でも利用したことがあればこのように、親切に抽選会日時を連絡してきてくれるのです。

わたしを締めだした横浜市の会館たちとは何という違いでしょう!!

来年の4月から9月までの会館利用の抽選は10月に行われるのです。
なので、来年4月から9月まで、会館を貸し出してもらえる日にちのカレンダーもついています。

抽選日はなんとか都合がつきそう!

夏の発表会も予約が取れるのならばあかいくつ劇場で行おう。

今年の夏の発表会の会場のカワイのホールはちと狭かった。
10人くらいの生徒の規模で行うならばちょうど良かったんだろうけれど、、。

正確にはカワイのホールではなくて、カワイ横浜ピアノサロンプラージュという名称。

少人数でのコンサートならば再度(省略して)プラージュを使わせてもらおう。




しかし、これで首尾良くあかいくつ劇場が夏取れたら、2回連続で同じホールでの発表会となる。

3回続けてもいいのだが、来年の冬はもう1度みなとみらいホールの小ホールに申し込んでみよう。

ただ、このホールは小ホールとはいえ客席400。
カワイとは逆で広い!

みなとみらいホールの小ホールは県の所有なので、わたしでも申し込める。
ただし、抽選の日が近づきました。
なんていうお知らせは来ない。

たしかここは、使いたい日の1年前の1日目に直接みなとみらいホールに出向いて、抽選の申し込みをして(まだそれだけじゃ終わらない。)翌日だか翌々日だかに抽選をする。

本人がくじ(実はわたしは直接抽選に出向いたことが無いのでよくわからない。)を引いてもいいし、職員に委託してしまってもかまわない。

わたしは一昨年落選の憂き目にあった。

横浜市には💔フラれたわたしであったが、横浜市の6ヶ月前の抽選。
というより、わたし的には1年前、そこまで出なくても6ヶ月より前にホールが決まっていたほうがいい。

出演人数が多くなればなるほど、準備期間を長めに取りたいからだ。

なので10月下旬はあかいくつ劇場の抽選に行ってきます。
そうよ。
それにはもうひとつ、この抽選、飛び込みはNG。
抽選に行くにもちゃんと予約をしてから出向く。

電話して抽選予約を取ってしまおう。





前世の記憶??!

わたしは前世、若くしてその生涯を終えた天才少年ピアニストであった。
幼くして華やかな舞台でスポットを浴びたものの、病を得、それが命取りとなった。
無念であった(T-T)

その無念さのあまり、生まれ変われるのならば才能は認められなくとも、演奏家としては超しょぼくとも、長く、健康に生きられる人生をください。
と、願ったのです。

そのとおり、生まれ変わったわたしは頑健な肉体に恵まれ、滅多なことではしにそうにはなく、それと同時にこれほどパッとしない演奏家がいるか?
ってくらい演奏家としては不作。

不作ではあるけれど、そう悲観はするなわたし。わたし程度にパッとしない。演奏活動じゃ残念過ぎるほど経済的に恵まれない演奏家なんざいくらでもいる。

クラシックのピアニストは需要がそこまでないのだ。

今、ここでなんで前世の記憶なんてある意味、オカルト、ある意味神秘的宗教的な事象を持ち出したかって言うと、、。

横浜市のパワハラだ。パワハラ。って騒ぎ無くても、いえ横浜市がわたし如きしょぼいピアニストそして全くの個人でやってる音楽教室主催者に優しくても、要するに問題はそれだけじゃない。

音楽教室主宰していると、今後は教える事に徹して自分が弾くのは諦めよう。と、思ってもやはり、自分のピアノの練習はしたい。そして何処かしらで演奏したい。

と、考えるようになる。
わたしは血が演奏家なのかもしれない。

だが、根本的にピアノの練習する環境がなかなか整えられないのだ。
ピアノは徹夜で練習するわけにはいかない。
したがって昼間の時間は貴重だ。

ここ何年か、やっとピアノ練習出来るか?!と、思ったら猫が病気。
週に3回の猫病院通い。

それに加えて、うちは2年半前地方に赴任した息子が車を携えて行ってしまった。
なので、バス及び電車で動物病院通いをする。
それは行き帰りに買い物をしてしまうことが出来ない事を意味する。

昼の時間をガリガリと削り取られていくが、猫を見殺しにする気になれるか?なれない。

家事、猫の世話、家族の世話、さらには音楽教室業務も外注しちゃったら?
と、言われたことありましたがね。それが出来れば、、そこまでわたしがお嬢さんだったら演奏活動だって出来るのです。

タダでさえ、演奏活動は儲からないのだよ。
音楽教室だって家事、育児ならぬ猫児?外注出来るほど儲からないわ。





そこで、妄想とも空想とも、はたまたひょっとしたら真実かもしれない前世の記憶が蘇るのです。

わたしは、あきれるばかりの健康と引き換えに華やかな演奏活動を犠牲にするように前世で取引していたのだ。

そう思うことにしよう。
今の状況じゃ、1日3時間のピアノの練習時間確保することとて無謀だ。いえいえ、無理。

そう開き直ることに決めたわたしは更に健康状態を良好に保つために、うちから最も近い大きな公園、根岸森林公園を散歩することにした。
強引にでも練習してやろう試みて、ヒッキー状態続けたら、あるときドカーンと気分が落ちた。

ここでうつ病になんかなったらたまらない!
ヒッキーはハートの健康に悪い。

わたしは鬱病気質じゃないのだけれど、無理が高じればハートは破ける。
ハートが破れないようにするためには、適度の運動と気晴らしが必要だ。

気晴らし、といってもわたしは酒は飲まない。
煙草も吸わない。

運動は週に1回か2回(都合つかなきゃ0)バレエのレッスンに行く。
運動+気晴らしが散歩。

根岸森林公園は最近山羊(本物の生きてる山羊だ。)を雇った。
山羊なんか見に行ったって何になるのよ?
と言うな。森林浴はハートに良く効くのだ。

なので、前世の記憶を妄想しつつ絶対的に不足している時間の中、パワハラだ!と、騒ぎつつも懲りずになんとか練習しております。





読譜と聴音の狭間で

わたしは読譜が出来る。
あんたピアノの先生なんだから当たり前だろうが!
そうです。当たり前なんですけれど、わたしは読譜なんざさほどの特技、技能でもなく楽譜をしつこく見てりゃある時、なんとなく、またはある時突如鮮明に解読してゆけるものさ。

と、タカをくくっていた。
なぜか?それはわたしがそうだったからだ。

音楽科の高校に入学したときだって、ここにいる高校生たちは全員音符玉オタマジャクシ追いの名人なのであろう。
更に言えば、わたし如きより、、。

確か隣の席に座る少女に「あなた譜読みが早いみたいね。わたしは読譜苦手で新しい曲もらうと譜読みするのにとても時間かかるのよ。」
とお褒めにあずかったときも、そりゃまぁ、初見の苦手な人だっているだろう。って、そんな言葉はスルーしてた。

その時期はここに書き切れないほどの克服すべき事象を抱えていたので自分の譜読み能力についての査定なんざ2の次3の次、優先順位からしたら100番目くらいにしか相当してなかった。

わたしは譜読みは早いし、楽譜の観念の理解も苦労しなかったし、当たり前にブラインドタッチは出来てた。

だが、困ったことに暗譜が出来ない。(今は出来ます。今でも苦手ですが。)音感なくて聴音の成績が惨憺たる有様。
もうこれだけで、ドカーンと落ち込む原因と結果には事欠かず、落ち込んだからってウツウツとした日々を過ごせば事態はよけい悪化することは目に見えていたので、泣きたい日々過ごし、実際に泣きつつもなんとか解決を図ろうと必死になった。

聴音については聴音なんざ1回聴けばたちどころに採譜してしまう少女になんで出来るのよ?
と、お伺いたてましたよ。

後から思えば、音感があって採譜が好きな人にはそもそもなんでわからないかわからないのだろうけれど、「慣れよ。」
とのこと、中学からここの学校にいて聴音の問題をさんざやったから慣れりゃ出来る。

これはある意味、真実。
その惨憺たる成績の聴音もわたしは高校を卒業する頃には平常成績まで上り詰めた。




その後、講師となって「幼少の生徒には音感訓練をいたしましょう。学齢期前というのは音感が身につくとても良い時期です。」
というポリシーの講習会を幾たびも受け。

これも半分くらいは当たり、幼少期適正な音感の訓練受けてりゃ14歳であんなに苦労することは無かったでしょう。
でも半分はハズレ、音感もいい人は訓練しなくてもいいのです。

だが、講師としての実践を積むと音感より何よりいつまでも譜読みの観念がわからない。及び曖昧。
な生徒に多々遭遇。そして「音感なんかより、譜読みのほうをなんとかしなきゃ。何のためにピアノ習いに来てるのよ。」
の意見(講師から)。

いや、聴いただけ弾けてしまうのはうらやましいし、暗譜が早いのもうらやましい。

だが、そうも言ってられない。というのは、すべてのピアノ曲を聴いて弾くのは不可能だ。
さらに、楽譜をあまり見ないで弾くというのはブラインドタッチが出来てない。出来ないと、目で音符玉を追いながら弾けないので間違いだらけでそれをいつまでもなおせない。

更に楽譜から作曲者の意図を読み取る。という作業がろくに見てないもの出来ないじゃないか!

そうか!それは困る。いつまでも先生が一緒に譜読みしてやるわけにもいかないねー。

つまりわたしと逆で、音感があって暗譜が早くだいたい聴いて弾けてしまうけどいつまでも読譜が出来ない。
タイプ。

大手から独り立ちして音楽教室主宰して読譜の観念をお勉強させるためにその名もセオリー、つまり理論をコミで学習させているが、何故か直感的に読譜が出来てしまう少年少女もいるが、譜表の観念がいつまでも怪しい。という子供もいる。(大人もだけど)

4分の4拍子、つまりは1小節に4分音符が4つ入る。が、理論としてはとにかく、聴音すると字余り、音符が足りない。が平気。

あるいはいつまでもドレミのフリガナをつけたがる。

わたしは今は初心者でも大譜表を使った聴音をやってるが、これはもちろん最初は音感のため。と信じていた。
だが、徐々にこれ読譜の訓練に最適なんじゃないか?と気づく。

文字だって書いて覚えるように音符だって実際に書いてみるのは、いい読譜の学習と信じている。
そもそも、幼少期には音感の訓練を!
と、いうのもなんだか平成の世になった頃からむなしくなった。

シャカリキにドレミファソーラファミッ、レッ、ドッ♩やらなくてもみんな音感いいのです。

それでは聴音のお稽古で読譜の苦手はバッチリ解消。
になるかというと、これまた、いい対処法にはなるけれど決定的ではない。

リトミックを取り入れたレッスンしてる先生がだいたい読譜は理系脳と連動していて、算数の得意な子は譜読みが上手だ。
と、話してくれたけれど、かといって算数の勉強に励めば読譜が上手になる。ってわけでもないと思うし、これの対処法はまずは1番は本人が読譜の苦手を克服しよう。

という気になってくれること、譜表の意味を理解しようと努力して、出来るだけフリガナをふらずに読むようにする。

そして、ここが大事なのは自分は譜読みに時間を要するタイプなので譜読み時間の調整を最初に考える。こと。
わたしはその逆で、暗譜に要する時間を多くとるように調整いたします。

ここで、わたしのところにくれば読譜が苦手なんてたちまち解決して差し上げますわ!
と、言えればいいんだけれど。残念!





パワーハラスメント

9月の末わたしは山手の丘にそびえ立つ横浜市所有の洋館イギリス館でピアノを弾く予定がある。

わたしが5人のお仲間を集められないため、わたし及びわたしの教室は横浜市所有の会館を使用することは出来ない。
これだけだって、そうとう酷い仕打ちに思える。

でもなんで、今回はイギリス館に潜り込む事が出来たかって言うと、それはわたしが主催者じゃなく、わたしが所属している研究会が行うイベントであるためだからだ。

だったらそこから名義貸してもらって、横浜市の会館借りりゃいいじゃないか?
とも、思われるでしょうが、そういうわけにもいかない。

コトはそう単純でもないらしいのだ。

この5人のお仲間を集めなさい。の、横浜市の決定についてはお上の決めたことは仕方ないさ。
5人くらいのお仲間すぐに集まるときは集まる。
その日が来るまでは県立、民間のホールを借りてコンサートは行えば良い。

そう気を取り直してレッスン及びピアノの練習に励んでいたわたしであった。

だが、今年9月の会館予約及び、会食のためのレストラン予約はわたしの役割となった。

わたしがこの研究会で役に立つ特技を持っているのは(ピアノではない。ピアノは全員が弾ける。)それはわたしがiPadを所有していて更にパソコンが使えること。

ネット上で簡単に予約が出来る。ははは(*^_^*)
ここの研究会はわたしより年嵩の婦人が多いため、デジタル化には特化していない。

まぁ、それは良い。良くないのは、わたしは予約確定した翌日イギリス館に出向いて(更に言えばわたしが1番イギリス館に家が近い。)支払い、そして利用許可証をもらい受けるはずであった。

ところが、イギリス館の人はわたしが主催者ではないため、許可証は主催者が表れた時に渡す。
と、申すので領収書だけもらって、港の見える丘公園を見物して帰ってきた。

そして「イギリス館、取得いたしました。」の事務報告をボスにした。





それが4月。

その後、はまっ子カードという市の会館を借りられる証書みたいなカードと、申し込み方法の一覧の書類を次の係の者に送れのお達しが来たので郵送。

レストランは予約したのでこれでわたしのミッションは終了したはずだった。

ところが!だ!それでは終わらなかった(;。;)
8月の末に利用許可証を送ってくれ。と、言われてあのはまっ子カードの入った封筒になかったか?
金は払った。(700円だけど)

ない。と、言われわたし、わたしの事務机の中を探す。
半日探したが発見されず。

あるわけないじゃないか?
横浜市の者がわたしが主催者でないことが気にくわない。という理由でくれなかったのだから、、。

わたし、このあたりでいい加減横浜市から嫌がらせ受けている気分となる。

その次、吉野町市民プラザから9月の吉野町市民プラザの催し物のお知らせのチラシが一抱え届く。
うちの会館の事を市民に広く知ってもらいたい。との動機で、ピアノ教室を主宰するわたしのところに毎月届く、もちろん送ってもらってよろし。というわたしの許可のもと送ってくるのだが、、。

あのな。わたしは市の方針によりお宅の会館だって使わせてもらえないんだぜ。
それで広報の役割だけはしてるのかよ?!

もーーっ!!パワハラじゃないか?!って、叫ぶわたしだが、わたしが横浜市相手に訴え起こして記者会見開くワケにはいかず。
じゃ、深く傷ついたかというとそこまでわたしはヤワでもウブでもないのだけれど、、。

弊害は、なんだかこの嫌がらせされてる気分でピアノ練習する気が失せ。
本来、ショパンエチュードとチャイコフスキーの四季寸時惜しんで練習しなきゃならぬところを、さてピアノ弾こう。
という場面でラジオ体操ばかりを最近は弾いている。

パワーハラスメントというのはやる気を奪うものなのだ。

まだわたしはいい。イギリス館でピアノ弾かないで聞き役に回ったって誰も少しも困らない。
発表会だって講師演奏は絶対のものではない。

でも、やる気奪って人生変わっちゃう場面だって往々にしてあるのだ。
パワハラは良くない。嫌がらせと叱咤激励は全くの別物だ。

おかげさまでラジオ体操は最近上手に弾けるようなったので、竹之丸地区センターでも借りて(ここならいくらでも貸してくれる。)スタジオラッキーキャットのピアノ伴奏のラジオ体操。
でも企画しようか?