すいかのめいさんち~みんなで歌いましょう

今年の夏の発表会、みんなでうたいましょう。のお歌は「すいかのめいさんち」です。
では、ぼちぼちお歌の練習もいたしましょう。

そのためには今日はわたしの午前の仕事は歌詞カードを作る。
ワードでB5に設定して歌詞を打ち込み、イラストボックスからスイカ畑のイラストを頂いてきて、テキストボックスを挿入して枠線なしに設定しさらに画像を挿入する。

すいかのめいさんちのイメージ通りの歌詞カードの出来上がりです。
だが、そもそもこのようなことはしなきゃしないで済む。

しなくてもすむことをあえてやるのは、生徒さんたちのためを思って。ってより、100%わたしの趣味です。

次なるこの手の仕事はプログラム作り、これまたイラストボックスその他から夏のピアノ。に相応しいイラストを探し出して試作品を作り上げます。
これまた印刷屋さんに頼まないのか?
なのですが、こういうものこそ先生が手作りしたほうが生徒さんたちまたその保護者の方々の思い出に残るものです。
というような立派な動機じゃないんですよ。

わたしの場合。
まず、自分で作っちゃったほうが安上がり、以前は印刷屋さんに頼んでいたのですがパソコンとプリンタを手に入れて以来、自前で制作しております。
そして(#^.^#)これが1番大きな動機。

歌詞カード、プログラム制作は楽しいo(^∀^)o タノシイ♪

とにかく、夏の発表会のお歌は2曲一つはすいかのめいさんちで決まり。
このような歌があることはわたしは知りませんでした。

夏といえば「夏の思い出」少し大きな子向けかしら?と思ったところ、激しくダメだし。
どうダメだしかというと「なにそれ?」
皆さんしらないのか?ならば仕方あるまい。

そういやシニア向け童謡、おそらく老人ホームその他ではウケるであろう童謡の数々、現役子供さんたちほぼダメだし「なにそれ??」でしたものね。



わたし的にはそのような子供のお歌は知りません。
だった。「せかいじゅうのこどもたちが」は何故か息子がうちの「みんなのどうよう」の楽譜見て急に歌いだした。

その歌、保育園か小学校で歌ったのか?
息子はYMCAのキャンプで歌ったそうで、現役小学生の多くはこの歌もよく知っていた。

「すいかのめいさんち」なんだそれは?!でしたが、なかなかどうして知っている生徒が多く、夏らしい歌。
何といってもすいか。西瓜が出てくる歌はそうはないであろう。

この歌、原産はアメリカ民謡。
そうか、それらしい歌だわ。
訳詞は高田三九三。
2分の2拍子ヘ長調の歌。

この手の歌伴奏というのけっこうハマる。
ハマるあまりに革命のエチュードの3分の壁問題をしばらく忘れる。
忘れるわけにはいかないのだけれど忘れる。

ははは、夏だからあんな重たい曲は忘れてわたしも歌詞覚えて(わたしはいちおう歌えるのだ。)みんなと一緒に歌おうか。

では皆さん夏の講師演奏はなしにしましょう。無しにして「すいかのめいさんち」をうたいましょう。





トルコ行進曲 ファジルサイ編

モーツァルト作曲ケッヘル331ピアノソナタの3楽章。
超有名な不朽の名作。トルコ行進曲。

この曲を弾くことを目的としてピアノ教室の門を叩く方も多し。

わたしも1楽章からして好き(*^ω^*)
1楽章なのにAndante grazioso 読みはアンダンテグラツィオーソ。
イタリア語なのでカタカナ表記にしてもそう的外れなことはない。

貴婦人がゆっくりのんびり歩くような速さで、優雅、優美に。
なんとも古典派しかもモーツァルトらしい、典雅かつ品格を伺わせる速度表示でしょう。

だが、疑問は古典派のくせになんで1楽章がアンダンテなんだ?
これの解は、ケッヘル331の1楽章はヴァリエーションなのです。
ド~レド、ミーミのテーマから第1ヴァリエーションより第6ヴァリエーションまで取り揃えて変奏し、続いては(すぐにはトルコ行進曲にはならない!)2楽章のメヌエット、そしてやっとこさ3楽章のトルコ行進曲へとたどり着きます。

性格的にも受けてきた教育からも全楽章弾かないと気がすまないわたしでさえ、第3楽章だけ抜粋して弾くことはよくあります。
第3楽章Alla turca.Allegrettoアラ トゥルカ、トルコ風に(実はなにを意味しているのかはよくわからない。)アレグレットはやや速く。

教室でひとりやふたり必ずレッスンしている人気曲で、ソナチネの不人気さのあまりソナチネをレッスンせずにこのケッヘル331を古典派曲としてノミネートすることも幾度か。

で、このケッヘル331第3楽章を仕上げたその時。
「ファジルサイのトルコ行進曲もレッスンしたい。」
?謎?ファジルサイって何者だ?!

わかった初音ミクの亜流が?
そこで、うちに完備するiPadで検索。どうやら「朝起きた~♪」の初音ミクとは全くの別物。

だからこの曲不朽の名作なのよ。
生誕262年、とっくの昔に著作権に切れてるモーツァルトはいろんなヴァージョンで編曲するもんだ。

わたしも参考資料として楽譜は購入、輸入版なので結構高価。

ジャズの編曲で、変則的なリズムが出てきますが、こんな難しい拍の取り方出来るの?
というような心配はしなきゃならないとしたらそれは私の方。

今時の若い者、少年少女はラクラク変則的な拍動をモノにしてくれます。

モーツァルトのコンチェルトも弾いているイケメンのピアニストです。

では、生徒さんたちに負けじとわたしもファジルサイのトルコ行進曲に果敢にチャレンジするかというと、、。
しません。
弾けそうもないから。でなく!!

革命のエチュードから始まって、クリスマス(チャイコフスキー)平均律にあこがれの夏とあと1曲くらい練習中で相変わらずショパンエチュードの3分の壁に苦しんでいてさらに「すいかのめいさんち」の伴奏を7月にする。
これ以上、突っついたら何時間練習しなきゃ間に合わなくなるんだ。
とてもじゃないがこれ以上は無理だ。。。

いえいえ、この夏の発表会はもうわたしの講師演奏はヤメにしようとさえ思ってる。
発表会を控える今頃になると事務的仕事がどっと押し寄せてきて息も出来ない!

ただ、今現在抱えている名曲の数々を消化してしまったその日にはせっかくの参考資料なのだからボツボツとチャレンジするかもしれない。





7月7日晴れますように

今日は朝からレッスン、そして雨はまだ朝の時点では上がらなかった。
もー、晴れるって言ってたじゃないよ。

だが、今日は晴れるの天気予報に嘘はなく、午前のレッスンが終わる頃には晴れ上がってきた。

そろそろ、夏の発表会のプログラムを作ってカワイホールにも確認を入れて、歌の歌詞カードを作って準備万端に整えなくては、、。
そして、あらあら昨日も言ってたけどそろそろ七夕じゃない。

さてどうしましょ。
午後のレッスンは15時からなので七夕用の笹が空き地で調達出来るか見に行こう。
晴れた日でなければこれまた難しいのだ。
何故ならば、雨が降ってると生い茂った夏草に水浸しになっているのでわたしはずぶ濡れになってしまう。

そして去年までと違って大笹が群れなしてる光景とは程遠いものの、手頃な笹は生育しておりまた。

このように何本か七夕用笹飾りには使えそう。

生木をも切り裂けるのこぎりを購入したので、1本頂く。

教室に持ってくるとこんな感じで、今までの大笹に比べりゃだいぶ小さいが、これくらいが本当は丁度いい。
空き地で見るとただの笹に見える笹がうちに持ってくると天井まで届いてまだ足りないくらいの大笹であったことがわかる。

大笹は管理が大変なのだ。大きい空きペットボトルに水を入れて挿すのだが、ボトル1本では足りない。
ひっくり返ってしまうのだ。

なので、3本に水を入れて残り2本は重りとして使うのだが、それでも時々ひっくり返る。
今年はペットボトル1本で間に合う。

そして恒例行事。

猫のランプが七夕飾り見物に来て、ついでに笹を食べていく。

猫は笹を常食にはしていないのでこれを吐き出す。
もーー、学習しない猫だこと┐(´д`)┌ヤレヤレ


今年は笹が小さめなので、飾りは少なくした。
更にここから、みなさんの願い事の短冊がついてゆく。

去年もプリンセスになりたい。のような夢のある願いからお小遣いが増えますように。というような現実的な願い事もある。

わたしの今年の願い事は、3分の壁が破れますように、現実的だな。

もう一つは7月7日が晴れますように。
7月7日は滅多に晴れないのだが、寓話とはいえやはり晴れると嬉しい(((o(*゚▽゚*)o)))

今年の梅雨は何時ごろ明けるかな?
わたしは6月がどちらかというと好きなのだけれど、やはり梅雨明けを待っている。

これまた現実的に、今朝の湿度はうちは70%超え。
ピアノのコンデションは最悪。
弦が湿って緩みが出ているのがわかる。

だが、わたしのピアノは流石に国産。
多湿にもメゲずに健気に音を出している。

今年の夏の発表会の歌は「すいかのめいさんち」と「あめふりくまのこ」夏は西瓜の季節。
その頃には梅雨は明けているかな?





あこがれの夏

今の時期の歌の定番はたなばたさま、7月7日というのはなかなか晴れない。
そして今年はうちの近くの空き地の笹の生育が悪い。

今年は七夕飾りを作れるか?
そろそろ、レプリカの笹を注文するか?

じゃ定番ではないお歌は?
いろいろなリクエストがあるのですが、先日ええっ!の歌リクエストを受けました。
それは「あこがれの夏」あらまぁ、アナ雪じゃありませんか?

数年前大流行した「アナと雪の女王」少女の弾きたい曲ナンバーワン。
「ありのままで」から、「雪だるまつくろう」「生まれてはじめて」
わたしは歌の伴奏はもとより、ピアノ指導いたしました。

それが、ここのところアナ雪のリクエスト受けることもなくなり、アナ雪の大流行も収まったかな?

だったのですが!アナ雪の中でリクエストの少なかったあこがれの夏、、。
雪と氷の世界のイメージのアナ雪の中で夏の歌とは、、。

わたし、楽譜棚からアナ雪関連楽譜取り出し、、。そうよ。これよ。この楽譜に「あこがれの夏」が収録。

ヤマハミュージックメディアやるね。わたしはこの楽譜をアナ雪流行当時は毎日のように使っていた。
「あこがれの夏」歌いたいリクエスト受けないわけじゃない。受けたので「あこがれの夏」も伴奏の練習はした。

練習が必要なのはこのアナ雪のグレードは中級。ヤマハミュージックメディアの中級はそうは甘くない。
みんなの動揺のように初見プラスくらいじゃ弾けないのだ。

なので、わたし「あこがれの夏」のお歌は来週まで待ってくれ。練習する。
この歌はそうは簡単に伴奏が弾けないのだ。

なので練習しているのだが、練習しつつ思い出した。
わたしはアナ雪の映画を見ていない。
したがって詳しいお話がよくはわからないのだが、、。
思い出した。

この歌、確かに雪だるまが歌うんじゃなかったか?
夏になったら雪だるまなんて溶けちゃうよ、、。というような、散文的なことは言うものではない。

溶けるだろうが、(あくまで映画はみてないけど)あんな雪と氷の世界に生きてたらそりゃ雪だるまだって、陽光降り注ぐ輝かしい夏に憧れるだろうよ。

そうよ。今でもアナ雪根強いファンがいるのだ。永遠の名作に違いない。

そしてわたし閃く。夏、といえばそろそろうちは夏の発表会。
「あこがれの夏」わたしがピアノ演奏しようか?

じゃ、3分の壁に悩んだ革命のエチュードはどうする?
夏に弾くには重いからやめて冬に回そうか?(無茶苦茶言うなよ。重いか?)

久しぶりのアナ雪との再会であった。





ショパン スケルツォ2番 

わたしは昨日、ある楽譜を出してとある箇所に目を留め青ざめた。
この和音アルペジオにしないで弾けたのか?

それがこの赤丸の和音。

この曲はショパン作曲スケルツォの2番。6小節め。

この赤マルは画像加工ソフトでマルつけたがそれ以外のマルはもともと楽譜に書いてあったマル。
新品の楽譜にこのようなマルがある筈はないので、これはかつてわたしがレッスン受けていて注意を受けたマルで、タイのついた後ろの和音を早く離してしまうため「ちゃんと3拍子いっぱい弾きなさい。」
のマル。
「あんたリズム感わるいわねー。」「そっか!?そうでもないと思う。この曲がPrestなのが悪いんだ。」みたいな感じ。もちろんわたしはそのような感想を先生に口に対して出しては言いません。

ちゃんと覚えてるじゃないか!(^-^)

でなんでこの画像加工ソフトでつけた赤マル和音見て青ざめたかっていうと、この確かに下のシフラットド、下から3番目からのミフラット、ソフラット、シフラットを分割して弾いた、つまりアルペジオにして弾いた覚えはない。

ということは、この和音わたしの手の大きさで掴めるのか?
問題解決は簡単、ピアノで弾いてみればいい。

なんのことはないアルペジオにしないで弾けます。
この曲はフラット5つの調。長調なので変二長調Dフラットメジャー。

意外に楽々掴めます。

なんで突如、悩んだかというとスケルツォの2番再度仕上げてコンサートで弾こう。という野心を起こしたわけではありません。
レッスン中に参考資料として転調に至る箇所を見せたくてたまたまスケルツォ集を開いたのです。

手の小さめなわたしは時として盛大な和音については悩むので、この和音に目がいったのです。
なんで、左手の全指を使う5音の和音以外に簡単に掴めたか?

それはこの曲が変二長調だから。
なんでだ?と、いうのは変二長調というのはドとファ以外全部フラットがつくのです。

このような華麗かつ、過激な和音を弾くにはフラット、シャープがいっぱい付いてた方が楽なのです。

今現在わたしが、革命のエチュード仕上げていて妙に華麗なる属七たちに苦労させられているのは、このエチュード調整がハ短調。
ハ短調はフラットが3つ。なんとも半端な数。
半端な数のフラット、シャープがつくと自ずと白鍵、黒鍵のデコボコが大になる。

デコボコが増えれば、掴み損なう和音も増える。

ですが、フラット5つの調。スケルツォの2番が簡単だ。という意味ではありません。
この曲長い上に大変手こずりますので取り掛かるには要注意曲ではあります。





ですが、わたしは幼少の砌よりこの曲には憧れがありました。

今風の家とは違い、かつてわたしが住んでいたわたしの実家は洋間、もしくは応接間と称する部屋があり、そこにピアノ、ステレオ、ソファとコーヒーテーブルが応接セットという名称で完備し、その上カップボード(当時はそう言わなかった!)レコード入れが置いてありました。

奇跡のようにそのレコード集の中にショパン作曲スケルツォ2番が収録されたレコードがあったのです。
わたしはこのレコード再生し、雷に打たれたごとくなんとブリリアントな音楽なのであろう。

これはピアノ曲だ。
きっとそのうちピアノで弾いて見せる\(*⌒0⌒)♪

ですが、その当時のことあんまり聴くとレコードが磨り減るから、とか、応接間で遊ぶな。とか、その頃のステレオ、レコードが高価なものでレコード鑑賞というものは遊び半分に行うものではない。
という、理解なき大人たちのためにそうは頻繁に鑑賞するわけにはいかなかったのです。

話は逸れますが、そののちわたしは音感に無さにとても苦労するのですが、そのような環境下では今の若い者、子供のように音感がよくなる筈もないじゃないか。
わたしが音感がないのはレコード盤が擦り切れるのを恐れて、わたしがステレオを壊すのを恐れて音楽を頻繁には聴かせてくれなかった親が悪いんだ。

そのような幼少日々から幾歳月。
その頃ついていた先生のもとじゃ、スケルツォまでたどり着くのは遠く、とうとうスケルツォ2番を弾いたのはずっと後の話。

子供が保育園に通っていた頃、お子様向けコンサートでわたしはこの曲を弾きました。

そのことだけならともかく、わたし随分無謀なことやらかしたものだ。
と、今になれば関心しつつ呆れたのは、譜読みから1ヶ月半で仕上げて舞台に上がったのです。

今はそのような無謀なことは絶対致しません。
それだけ少女の頃の衝撃が大きくて、絶対やってみせる\(*⌒0⌒)♪
のノリでやってしまったのですが、それが出来たのは横浜市のおかげ。

横浜市の保育園はうちの息子を措置児として入園させてくれたのです。
なので、練習する時間をなんとかして確保出来た。

そのわずか数年後、わたしが演奏活動諦めたのは息子が小学生になったからです。
その頃は今のような学校にそのまま残る学童保育のクラブがなくて、学童保育といえばマンションの1室に放課後小学生たちが集まって行っていた。

うちの息子にはそのような学童保育が合うとは思えず、本人も嫌だ。と、言った。
最近になって、息子に確認。今のような学校に残るタイプの学童保育なら良かったか?

それならば入りたかった。と、のこと。
小学校は午後3時ころ終わってしまう。
夏休みは長い。

なので、わたし演奏活動はおろか、キャパいっぱいになってるわけでもないのにその頃の音楽教室も生徒募集をやめてしまったのです。

時々ネットで目にする。おうちで出来る仕事ならば通勤もしなくて済むし子供とも一緒にいられてラッキー。
ってのもそうはうまくいくもんでもないと思いますよ。