2024年に向けて

ピアノの鍵盤の下から出てきたもの

先日年に2回の調律を行った。

それで、ピアノの鍵盤の下から出てきたものは

これが、ピアノの鍵盤の下から出てきました。ドレミっちや、鍵盤シールは鍵盤の隙間から落ちた。

鉛筆はこれ、わたしはピアノの蓋、つまりグランドピアノの蓋を全閉じにして上に譜面台を置くというスタイルのレッスン室は多いと思うが、このスタイルは取らない。

グランドピアノの蓋折り返しみたいなところを折り返して譜面台を差し込むスタイルを取っている。

主に小さい子の生徒が譜面台の隙間からハンマーが弦を叩く様子を譜面台の隙間から観察することがあるので、、。

そうよ。ピアノっていうのはそういう原理で音が出るのよ(o^―^o)ニコ

全閉じしちゃったら、この原理を観察することが出来ないので半閉じにしておくことにした。

ここから鉛筆が落ちて鍵盤の下までたどり着く。

子供だと、この譜面台の下の隙間から中を観察することが出来る。

アップライトピアノやましてデジタルピアノではこのような事故はまずは起きない。

なのだが、こうピアノの鍵盤の下にものを溜め込んでいいということにはならない。どちらかというと良くない。

なので、鉛筆およびポストイットは100均で買った鉛筆立てに収めることにした。

これです。

鉛筆立ての下はウェットティッシュ、意外や意外ピアノのお稽古にはなかなか役に立つものです。

2023年の反省

2023年いい年でしたか?

って、わたしにはなんとなくちぐはぐで行き違いばかりの1年であった。

7月にはみなとみらいホールでの発表会も2024年は控えている。

来年はもっと時間のやり繰りを上手にして自分のピアノの練習をする時間も確保しようと思う。

指導と自身の演奏は別物だから指導者は弾けなくったっていいんだ!って息巻く人もいるんだが、それはそれとして、その手の人とわたしの価値観は違う。

そのためには教室月間予定、週間予定、日程表を作成してなんとか練習時間を確保すること。

だけど、2023年は今日入れてあと12日、今から予定表作りは始めよう。

2024年に向けて教室改革にも取り組みます(o^―^o)ニコ

手の小さいピアニスト

手が大きいことの誤解

先日なんとなく観たテレビにピアニストが出演していた。もちろんわたし如き、スタジオラッキーキャット専属ピアニストなんぞというわけの分からぬ無名ピアニストではない。

権威のある国際コンクールで優勝するような立派なピアニストです。

この方が自分がピアノが上手なのは手がでかいからだと、、。なんでもも12度(ドから数えて1オクターブ上のソまで)開く、なのでリストのような超絶難曲でも弾ける。

いやいや、手が大きいことの自慢は結構だし、ロマン派以降の難曲モノにするには手がデカいのは小さめの手の持ち主よりはるかに有利だ。

それはそれとして、わたしの手は9度しか開かない。これでも手の大きさの割には開く、ピアニストの決定的特徴として左手の方が開く。これは左手のほうが沢山の和音を捕まえるからだ。

それでもわたしだって、リスト弾けますぜ。ただし練習する環境にあればの話だ。とはいえ、わたしはリスト、シューマンは嫌いだ。

更に、手の大きさはわたしといい勝負だが、これまたリストの難曲ひとつのミスタッチもしないで弾いて見せる女性(わたしの高校の時の後輩)おりますよ。

手が大きい方が有利は有利だ。チャイコフスキーの四季弾くくらいでも、真ん中のパートとソプラノパート、いっぺんに弾け。に、苦労する。

以前このブログで書いたショパンエチュードの革命だって、わたしは2番目に出てくる属七、鍵盤の下の方から押さえないと弾けない。

これこれ、これです。

最近の子供は体も大きいが手足大きな子多くて、確か小5くらいの生徒にこの和音を上から掴めるか、って言って弾かせたら、、。

この1番上の和音です。その生徒さんわたしより、手が大きくて指も長い。難なく鍵盤の下の方から捕まえるような裏技使わなくても弾くこと出来ました。

ただし!まだ難易度的にこのやっかいなエチュードモノにするにはちと無理でした。

でも、、なにが言いたいかって言うと、、。

手が大きくてもピアノが上手なわけじゃない!

なのです。

これ、時として大人の初心者にいるのですが、わたし手が大きいから才能ありますよね(⊙ˍ⊙)(謎)

というノリでピアノ始めたい人がいるのです。

あんまり関係ありません。最初っからリストのエチュード弾けるはずないでしょ。って、言うわけにもいかない。

というか、この手の大きな人でも全く開かない手の持ち主、全然動かない、もう指全部が第4指と5指でできてるんじゃないか?ってくらい動かない人の場合、有利どころか時間かけて指が開くように、動くようにトレーニングするしかないのです。

なので、手が大きい人はピアノの才能がある。ってような誤解伝説生むような言動は、それはピアニストだけやってるような方はいいでしょうが、わたしのように街のピアノ教室の主催者にとっては時として唖然とする事態に陥るのです。

結論

手が小さめでもピアノは上手になりますよ。練習しましょう。

鍵盤楽器センスはまた次元が違う問題だからです。

ただここで誤解のなきよう、言っときますが、それでもこの手のサイズで難曲大曲を、譜面通りに弾くのは諦めてもらわなければならない場面があるのです。

それは、成人および、成人並みの体格になった後でも1オクターブ開かないくらい手が小さい場合です。

このタイプの人もいることはいます。

こればかりは対処法知りません。オクターブ奏法のない曲目を選ぶか音を抜いて弾くしか対処法ありません。

ついでに指と指の間を切る手術受ければいい。なんてのは最大級のガセで、そんなことが出来るのか出来ても指の神経傷つけてしまうだけです。

このガセ、シューマンが流したのが最初みたい。だからじゃないけど、わたしはシューマン嫌いというか苦手。

今日はピアノの練習あるいはモーツァルトピアノソナタKV.330

本日、息子が出勤した。なので、息子がいないスキにわたしはどうするか?それは、ピアノの練習をする。

コロナ騒動の影響で息子会社のパソコンを家に持ち込んで在宅勤務している。それはいいのだが、うちはそもそも最初の間取り失敗で(ここでも女の子失敗から学ぶのだ(T▽T))独立した音楽室がない。

ハウスメーカーさんが家の機密性にはOKしてくれて、外への機密性はいいのだが、中はピアノと他の部屋との関連性についてはとてもいい。とは、言えない。

家に在宅勤務勤務者がいるとピアノ弾けないのかい。というのはね。無理通せば道理は引っ込むのだろうし、息子の方に遠慮させろ。って、対策もありと思うがね。息子が日がな一日データ入力でもしてるならまだしも、会議だの打ち合わせだのにヤツはよく通る声で話をしている。(それもそうだ。息子は元舞台俳優なのだ。)

なんだか気が引けて、レッスンするならとにかくわたしが弾いたところで、仕事取れるわけでもないピアノの練習する気になれないのよ。

これというのも全て、家の建築時に独立したそして出来たらその部屋の機密性をよくして音楽室に入れば息子が会議してようと、親父がテレビ見てようと心置きなくピアノが弾ける設備にすべきであったのだ。

これから家を建てるピアノを弾く人たちに告ぐ。この問題は最初によく考えて設計を頼みましょう。


このようなところに設計を依頼するのです。

だが、今日は息子は永田町に居るし、わたしの配偶者もそろそろ出勤する。ピアノの練習をするのだ。

わたしは現在演奏活動はしていないので、(当たり前だ。ピアノの練習がそうは出来ない環境で演奏活動出来るものか。)ピアノを弾く機会は教室の発表会と同業者の音楽会くらい。どちらも義務ではない。

最も近い時期の音楽会は7月の夏の発表会。そして、9月に研究会の音楽会がある。

そこで弾くつもりでいるのがモーツァルトピアノソナタKV.330の第一楽章ハ長調。あんまり練習出来る環境と言えないので、7月9月ともども同じ曲を弾く。

そんなにたくさんの曲を用意出来ないのだ。

なんでモーツァルト選んだかというのは、それはモーツァルトが好きだからだ。試験じゃないんだから、選曲はわたしの自由。

譜読みするのがモーツァルト簡単だからでしょ。って、わけでもないですよ。だいたいわたしは暗譜できなくてそれはそれはいつも難儀するのだが、譜読みは早い。

それにこの曲、今はじめて弾きます。って、もんじゃない。大昔から何度かは弾いているので1ページ目くらいまでは暗譜している。

暗譜出来ないわたしでも不思議とモーツァルトは早めに暗譜出来てしまう。それではモーツァルトソナタとても弾き易い曲なのか?というと、わたし的にはそうでも誰も彼もモーツァルトLoveではない。

モーツァルトのピアノ曲の36分音符見ただけで、腰が引ける。というタイプもいるし、コンサートでモーツァルト弾くと腕に震えが来るから嫌(/ω\*)だ。という、ピアニスト。1音でも外すとクラシックシロート聴衆にすらすぐにバレる。と思うと震えるそうだ。

なので、わたしがモーツァルトが好きなのは好みに次いで相性の問題。




ハハハ(@^▽^@)わたしはモーツァルトのピアノソナタのとりわけ第二楽章の36分音符見ただけで、嬉しくてゾクゾクしますわよ。モーツァルト(ノ=´∀`=)ノLOVE♪ですわ。

そのようなわけで、本日早速KV.330に取り掛かろうかと思います。スケールとアルペジオ弾いて、次エチュードバッハと練習を、、。と、思ったって、いくら息子が出勤したからって、うちが倒産するのなんのったって、生徒がひとりもいなくなったわけじゃない。

まだそれでも何時間も練習出来る身分ではないのだ。

コンサートで弾く予定のある曲から開始しなければならない。練習開始(^-^)






 

ゲーム感覚、ピアノの練習

世の中に子供が満ち溢れ始めた。コロナウィルス騒動で学校が休校になっているからだ。ついでに大人で社会人だけれども息子も在宅勤務になった。なので家にいる。家にいて、時として会議をしているのでわたしはピアノを弾くの遠慮してる。

それじゃ、レッスンにならないじゃない?と、いう心配はしなくてもいい。音楽教室の生徒が来るのは、夕方からだ。夕方は会議がないらしい。

なので、今わたしは息子在宅での仕事のあいだなんとなく(会議じゃなくても)ピアノの練習遠慮してしまう。このように、「なんで練習してこないの??!ヽ(`Д´)ノ」って、怒る先生いるけれど、練習出来ないときは出来ない。図書館にピアノ練習室があるわけじゃなし。練習出来る環境というのは重要だ。

その環境がクリア出来ていても、ピアノは好きだけれど、練習は嫌い(>_<。)ということはありがちなこと、この二つは矛盾しているようで矛盾していない。

天性のセンスのほうがモノ言う種目と違ってピアノは多少センスなくても、練習すれば弾けるようになるし上達する。

その練習だけれども、ゲーム感覚でピアノの練習が出来る。というタイプが存在する。本来、保護者が面倒見なければ練習がひとりでは難しい年頃、学齢期以前でもひとりで練習してくる。という子は大抵このタイプに属する。

今日はここまで攻略しよう(^o^)ノ イエー!というゲーム感覚で練習するので、多かれ少なかれ苦労に感じる練習がいっこうに苦にならない。(らしい)これは密かにある種の才能じゃないか?とも、思う。

バイエルでも(うちでは使ってないけど。)単なるスケールでもそれい!ヽ(´o`;攻略だ(((o(*゚▽゚*)o)))とばかりに弾いて、つっかえずに弾けるようになればgameoverやったねv(=^0^=)vつていう感覚。

この感覚、例えばこのようにすれば体感できると思う。それは愛してやまない曲をレパートリーに加える。コンサートで弾きたい。そのためには練習(攻略)最初のステージ譜読み間違いのないよう五感を研ぎ澄まし、つっかえたり止まったりしないように、弾く。最初のステージ攻略(^o^)ノ イエー!

この辺でレッスンに行って更に上のステージに上がる訓示を受ける。音楽的に強弱も曲想も美しくついてきたら、次のステージは暗譜。

またまたこのあたりでレッスンに行って諳譜の穴、つまり不完全なところを指摘してもらう。最終ステージは仕上げ。仕上がったところを素晴らしい出来栄えで披露出来れば、、。嗚呼、かくも美しい愛しのこの曲は我がものとなる幸せ(o>ω<o)

ツェルニーやハノン、インヴェンションあたりをこれくらいのノリで練習してきてくれれば皆様どれくらい上達するものか。だが、ツェルニー、バッハのインヴェンションともなるとね。「本忘れた。」が、日常、いや(/ω\*)本あったとしても練習してないから、って。フフ、ツェルニーやインヴェンションくらい常時うちにだってありますよ。

だが、バッハともなると嗜好が別れ、「音大いかないし、コンクールも受けないからいい((;^ω^)イラナイ」の生徒もいるが、これまた対位法曲というのは好きな人には格好の楽しいゲーム感覚で弾いているらしい。

平均律のフーガが大好き(*´∀`*)っていう、変わった人。いえ失礼、バロックマニアな人。フーガのような作品はパズルのピースを一つ一つ拾って仕上げていくような超おもしろいゲーム感覚があるそうだ。

全てのピースがぴったり噛み合った時には、LSDかなんか致死量寸前くらいまで服用したみたいにハイになるらしく。

5声のフーガ暗譜して仕上げた暁には鬱病になるであろう。ってのとは対局の感覚です。

わたしは、幼少の砌よりのピアノの練習はストイックに、つまり根性教育受けた刷り込みが強い。さて、企業の在宅勤務いつになったら収束するのだろう?

ショパン ノクターン11番

3月の終わりと、7月の終わり頃。研究会、発表会でわたしはベートーヴェンソナタ弾くのやめて急遽ノクターン弾く事にした。

理由はこの夏のプログラムは古典派曲が多い。そしてベートーヴェンソナタ弾くかショパンのノクターン弾くか迷ってた生徒がソナタに決めた。多い!あまりに古典派曲が多い。

ショパンのノクターンとしてあまりに有名な8分の12拍子の2番じゃなく、11番ト短調。ノクターンは日本語訳では夜想曲。夜想曲♫なんと風情のある名前でしょう。明治から戦前の日本語訳のセンスの悪さに散々毒づいたわたしですが、夜想曲の命名はノクターンというより、雰囲気があります。でも、わたしが弾く時間帯は3月7月ともになんということか午前!

8月に近い7月のパワーみなぎる午前の時間帯。なのだから、夜想曲ではなくノクターンと言おう。

話逸れますが、ノクターンの夜想曲はいいし、アンプロンプチュの即興曲あたりは許せるとして、フーガの日本名は遁走曲なんですよ。なんだか笑わせてやろう、って意図さえ感じられる訳だけど、当時は大真面目だったに違いないこと考えるとよけい翻訳センスの悪さが光る気がする。

ノクターン弾くか、って段になって気づいたのはわたし、実はノクターン1曲も仕上げてないのです。すでに子供でも学生でもなくなった頃、その時の先生にノクターン何曲か仕上げたい。と、申し出たところノクターンなんざ初見でも弾ける。しかるにもっと大曲、難曲を持ってくるように。ハイ、わかりました。でもわたしノクターン初見で弾けるか?それにショパンのノクターンだって19曲あるんだから全部がずん部初見で弾ける難易度じゃないだろう?

意外にノクターンみたいな曲は厄介で、ショパン、リストのエチュードやスケルツオみたいにちょっとやそっと練習したって弾けない曲ならば、暗譜出来るころには体が勝手に覚えて(本当は脳が)くれて、頭が白くなっても指が動いてくれる。だが、ノクターンの様な曲は本番中でもアラ、次忘れた。は、本当に忘れてる。だから面妖なのよ。

先生、ノクターンで痛い目にあったのか?

急遽ベートーヴェンソナタからショパンのノクターンに切り替えよう。って気になったのもショパンの作品の中でもノクターンは難易度的には難曲、というわけではない。技術的には超絶技巧必須の他の曲に比べりゃ圧倒的に易しい。表現力が要るのよ!表現力が。って、言い出せば難しいのだろうけれど、譜面を追って行くのだけなら初見で仕上げられないにしても困難ではない。

だから、スケルツォやバラードじゃなく、更にはエチュードでもなく短時間でなんとか仕上げてしまおう。って、気になったのだ。それにノクターン11番は譜読みするのは全く始めてではない。高校生の頃、レッスンでみてもらったことはないが弾いたことはある。

ト短調で右手のメロディーは実にノクターン、ノクターンしている。これを思い切り歌わせる。遠慮なく歌わせる。うっとうしいくらい哀愁を込めるが如く弾いていく。装飾音符は多い。1番多いのは16も装飾音符がある。ドジなピアニストが変なところで左手と合わせないように9つめのAと左の4拍目を合わせよ。の点線のが入ってる。(この盛大な装飾音符が初見では弾けない。)

途中から長調になる。メジャーチェンジつて言うんだろうか?変ホ長調となり、コラール風。コラールでなんだよ?って、よくママさんコーラスとか、PTA合唱部がなんとかコラールとかいう名前だったりするので、合唱団のことかよ?ともおもいますが、コラールは合唱のことではありますが、賛美歌です。

で、コラールについてはもとはプロテスタントの賛美歌ですが、学説はとにかく、ノクターンは賛美歌ではなく、更に言えばピアノ曲で声楽曲ではないので、コラールそのものではなく、コラール風。

4声体の合唱曲が元であっただけあって、左手が1声体右手が3つの音の和音。その和音の羅列が続き、これまたここにもミョウてけれんな装飾音符が完備。うねうねのアルペジオ+小さい装飾音符ひとつ。この弾き方は1番下、下から2番目、1番上最後に上から2番目の順番で弾いていきます。

またまた話は逸れますが、これ合唱で演奏するより、いっぺんでたくさんの音が出せるピアノのほうがラクだろう。って、この手の合唱曲仕上げるのにまずは最初に移動ドで各パートで譜読みをする。世の中の人間は95%は相対音感型なので固定ドだと、正確に音高を取れない。それが出来たら次は固定ドで歌って、全パートを合わせて更に歌詞を入れる。ということを、さる音楽美学?!の先生から伺いました。

ピアノは移動ド唱法なんざ考えることもなく、最初っから4声体くらいなんのその。歌詞なんぞという厄介なものはついていない。

ノクターンに賛美歌がついてるわけないが、コラール風はやはり敬虔な気持ちになって端正に和音を響かせましょう。だが、表現表現とばかり言ってもいられない。この和音は本物の合唱のように1番上のソプラノ、次1番したのバス。そして内声は控えめに弾くという基本を忘れてはなりません。

3月の研究会はイギリス館そして7月の発表会はあかいくつ劇場。双方とも置いてあるピアノはヤマハ。当初、ベートーヴェンソナタの予定だったので丸ごとOKだったんだが、このノクターン弾くのならば、、。スタインウェイで弾きたい♡