今日はピアノの練習あるいはモーツァルトピアノソナタKV.330

本日、息子が出勤した。なので、息子がいないスキにわたしはどうするか?それは、ピアノの練習をする。

コロナ騒動の影響で息子会社のパソコンを家に持ち込んで在宅勤務している。それはいいのだが、うちはそもそも最初の間取り失敗で(ここでも女の子失敗から学ぶのだ(T▽T))独立した音楽室がない。

ハウスメーカーさんが家の機密性にはOKしてくれて、外への機密性はいいのだが、中はピアノと他の部屋との関連性についてはとてもいい。とは、言えない。

家に在宅勤務勤務者がいるとピアノ弾けないのかい。というのはね。無理通せば道理は引っ込むのだろうし、息子の方に遠慮させろ。って、対策もありと思うがね。息子が日がな一日データ入力でもしてるならまだしも、会議だの打ち合わせだのにヤツはよく通る声で話をしている。(それもそうだ。息子は元舞台俳優なのだ。)

なんだか気が引けて、レッスンするならとにかくわたしが弾いたところで、仕事取れるわけでもないピアノの練習する気になれないのよ。

これというのも全て、家の建築時に独立したそして出来たらその部屋の機密性をよくして音楽室に入れば息子が会議してようと、親父がテレビ見てようと心置きなくピアノが弾ける設備にすべきであったのだ。

これから家を建てるピアノを弾く人たちに告ぐ。この問題は最初によく考えて設計を頼みましょう。


このようなところに設計を依頼するのです。

だが、今日は息子は永田町に居るし、わたしの配偶者もそろそろ出勤する。ピアノの練習をするのだ。

わたしは現在演奏活動はしていないので、(当たり前だ。ピアノの練習がそうは出来ない環境で演奏活動出来るものか。)ピアノを弾く機会は教室の発表会と同業者の音楽会くらい。どちらも義務ではない。

最も近い時期の音楽会は7月の夏の発表会。そして、9月に研究会の音楽会がある。

そこで弾くつもりでいるのがモーツァルトピアノソナタKV.330の第一楽章ハ長調。あんまり練習出来る環境と言えないので、7月9月ともども同じ曲を弾く。

そんなにたくさんの曲を用意出来ないのだ。

なんでモーツァルト選んだかというのは、それはモーツァルトが好きだからだ。試験じゃないんだから、選曲はわたしの自由。

譜読みするのがモーツァルト簡単だからでしょ。って、わけでもないですよ。だいたいわたしは暗譜できなくてそれはそれはいつも難儀するのだが、譜読みは早い。

それにこの曲、今はじめて弾きます。って、もんじゃない。大昔から何度かは弾いているので1ページ目くらいまでは暗譜している。

暗譜出来ないわたしでも不思議とモーツァルトは早めに暗譜出来てしまう。それではモーツァルトソナタとても弾き易い曲なのか?というと、わたし的にはそうでも誰も彼もモーツァルトLoveではない。

モーツァルトのピアノ曲の36分音符見ただけで、腰が引ける。というタイプもいるし、コンサートでモーツァルト弾くと腕に震えが来るから嫌(/ω\*)だ。という、ピアニスト。1音でも外すとクラシックシロート聴衆にすらすぐにバレる。と思うと震えるそうだ。

なので、わたしがモーツァルトが好きなのは好みに次いで相性の問題。




ハハハ(@^▽^@)わたしはモーツァルトのピアノソナタのとりわけ第二楽章の36分音符見ただけで、嬉しくてゾクゾクしますわよ。モーツァルト(ノ=´∀`=)ノLOVE♪ですわ。

そのようなわけで、本日早速KV.330に取り掛かろうかと思います。スケールとアルペジオ弾いて、次エチュードバッハと練習を、、。と、思ったって、いくら息子が出勤したからって、うちが倒産するのなんのったって、生徒がひとりもいなくなったわけじゃない。

まだそれでも何時間も練習出来る身分ではないのだ。

コンサートで弾く予定のある曲から開始しなければならない。練習開始(^-^)






 

ゲーム感覚、ピアノの練習

世の中に子供が満ち溢れ始めた。コロナウィルス騒動で学校が休校になっているからだ。ついでに大人で社会人だけれども息子も在宅勤務になった。なので家にいる。家にいて、時として会議をしているのでわたしはピアノを弾くの遠慮してる。

それじゃ、レッスンにならないじゃない?と、いう心配はしなくてもいい。音楽教室の生徒が来るのは、夕方からだ。夕方は会議がないらしい。

なので、今わたしは息子在宅での仕事のあいだなんとなく(会議じゃなくても)ピアノの練習遠慮してしまう。このように、「なんで練習してこないの??!ヽ(`Д´)ノ」って、怒る先生いるけれど、練習出来ないときは出来ない。図書館にピアノ練習室があるわけじゃなし。練習出来る環境というのは重要だ。

その環境がクリア出来ていても、ピアノは好きだけれど、練習は嫌い(>_<。)ということはありがちなこと、この二つは矛盾しているようで矛盾していない。

天性のセンスのほうがモノ言う種目と違ってピアノは多少センスなくても、練習すれば弾けるようになるし上達する。

その練習だけれども、ゲーム感覚でピアノの練習が出来る。というタイプが存在する。本来、保護者が面倒見なければ練習がひとりでは難しい年頃、学齢期以前でもひとりで練習してくる。という子は大抵このタイプに属する。

今日はここまで攻略しよう(^o^)ノ イエー!というゲーム感覚で練習するので、多かれ少なかれ苦労に感じる練習がいっこうに苦にならない。(らしい)これは密かにある種の才能じゃないか?とも、思う。

バイエルでも(うちでは使ってないけど。)単なるスケールでもそれい!ヽ(´o`;攻略だ(((o(*゚▽゚*)o)))とばかりに弾いて、つっかえずに弾けるようになればgameoverやったねv(=^0^=)vつていう感覚。

この感覚、例えばこのようにすれば体感できると思う。それは愛してやまない曲をレパートリーに加える。コンサートで弾きたい。そのためには練習(攻略)最初のステージ譜読み間違いのないよう五感を研ぎ澄まし、つっかえたり止まったりしないように、弾く。最初のステージ攻略(^o^)ノ イエー!

この辺でレッスンに行って更に上のステージに上がる訓示を受ける。音楽的に強弱も曲想も美しくついてきたら、次のステージは暗譜。

またまたこのあたりでレッスンに行って諳譜の穴、つまり不完全なところを指摘してもらう。最終ステージは仕上げ。仕上がったところを素晴らしい出来栄えで披露出来れば、、。嗚呼、かくも美しい愛しのこの曲は我がものとなる幸せ(o>ω<o)

ツェルニーやハノン、インヴェンションあたりをこれくらいのノリで練習してきてくれれば皆様どれくらい上達するものか。だが、ツェルニー、バッハのインヴェンションともなるとね。「本忘れた。」が、日常、いや(/ω\*)本あったとしても練習してないから、って。フフ、ツェルニーやインヴェンションくらい常時うちにだってありますよ。

だが、バッハともなると嗜好が別れ、「音大いかないし、コンクールも受けないからいい((;^ω^)イラナイ」の生徒もいるが、これまた対位法曲というのは好きな人には格好の楽しいゲーム感覚で弾いているらしい。

平均律のフーガが大好き(*´∀`*)っていう、変わった人。いえ失礼、バロックマニアな人。フーガのような作品はパズルのピースを一つ一つ拾って仕上げていくような超おもしろいゲーム感覚があるそうだ。

全てのピースがぴったり噛み合った時には、LSDかなんか致死量寸前くらいまで服用したみたいにハイになるらしく。

5声のフーガ暗譜して仕上げた暁には鬱病になるであろう。ってのとは対局の感覚です。

わたしは、幼少の砌よりのピアノの練習はストイックに、つまり根性教育受けた刷り込みが強い。さて、企業の在宅勤務いつになったら収束するのだろう?

ショパン ノクターン11番

3月の終わりと、7月の終わり頃。研究会、発表会でわたしはベートーヴェンソナタ弾くのやめて急遽ノクターン弾く事にした。

理由はこの夏のプログラムは古典派曲が多い。そしてベートーヴェンソナタ弾くかショパンのノクターン弾くか迷ってた生徒がソナタに決めた。多い!あまりに古典派曲が多い。

ショパンのノクターンとしてあまりに有名な8分の12拍子の2番じゃなく、11番ト短調。ノクターンは日本語訳では夜想曲。夜想曲♫なんと風情のある名前でしょう。明治から戦前の日本語訳のセンスの悪さに散々毒づいたわたしですが、夜想曲の命名はノクターンというより、雰囲気があります。でも、わたしが弾く時間帯は3月7月ともになんということか午前!

8月に近い7月のパワーみなぎる午前の時間帯。なのだから、夜想曲ではなくノクターンと言おう。

話逸れますが、ノクターンの夜想曲はいいし、アンプロンプチュの即興曲あたりは許せるとして、フーガの日本名は遁走曲なんですよ。なんだか笑わせてやろう、って意図さえ感じられる訳だけど、当時は大真面目だったに違いないこと考えるとよけい翻訳センスの悪さが光る気がする。

ノクターン弾くか、って段になって気づいたのはわたし、実はノクターン1曲も仕上げてないのです。すでに子供でも学生でもなくなった頃、その時の先生にノクターン何曲か仕上げたい。と、申し出たところノクターンなんざ初見でも弾ける。しかるにもっと大曲、難曲を持ってくるように。ハイ、わかりました。でもわたしノクターン初見で弾けるか?それにショパンのノクターンだって19曲あるんだから全部がずん部初見で弾ける難易度じゃないだろう?

意外にノクターンみたいな曲は厄介で、ショパン、リストのエチュードやスケルツオみたいにちょっとやそっと練習したって弾けない曲ならば、暗譜出来るころには体が勝手に覚えて(本当は脳が)くれて、頭が白くなっても指が動いてくれる。だが、ノクターンの様な曲は本番中でもアラ、次忘れた。は、本当に忘れてる。だから面妖なのよ。

先生、ノクターンで痛い目にあったのか?

急遽ベートーヴェンソナタからショパンのノクターンに切り替えよう。って気になったのもショパンの作品の中でもノクターンは難易度的には難曲、というわけではない。技術的には超絶技巧必須の他の曲に比べりゃ圧倒的に易しい。表現力が要るのよ!表現力が。って、言い出せば難しいのだろうけれど、譜面を追って行くのだけなら初見で仕上げられないにしても困難ではない。

だから、スケルツォやバラードじゃなく、更にはエチュードでもなく短時間でなんとか仕上げてしまおう。って、気になったのだ。それにノクターン11番は譜読みするのは全く始めてではない。高校生の頃、レッスンでみてもらったことはないが弾いたことはある。

ト短調で右手のメロディーは実にノクターン、ノクターンしている。これを思い切り歌わせる。遠慮なく歌わせる。うっとうしいくらい哀愁を込めるが如く弾いていく。装飾音符は多い。1番多いのは16も装飾音符がある。ドジなピアニストが変なところで左手と合わせないように9つめのAと左の4拍目を合わせよ。の点線のが入ってる。(この盛大な装飾音符が初見では弾けない。)

途中から長調になる。メジャーチェンジつて言うんだろうか?変ホ長調となり、コラール風。コラールでなんだよ?って、よくママさんコーラスとか、PTA合唱部がなんとかコラールとかいう名前だったりするので、合唱団のことかよ?ともおもいますが、コラールは合唱のことではありますが、賛美歌です。

で、コラールについてはもとはプロテスタントの賛美歌ですが、学説はとにかく、ノクターンは賛美歌ではなく、更に言えばピアノ曲で声楽曲ではないので、コラールそのものではなく、コラール風。

4声体の合唱曲が元であっただけあって、左手が1声体右手が3つの音の和音。その和音の羅列が続き、これまたここにもミョウてけれんな装飾音符が完備。うねうねのアルペジオ+小さい装飾音符ひとつ。この弾き方は1番下、下から2番目、1番上最後に上から2番目の順番で弾いていきます。

またまた話は逸れますが、これ合唱で演奏するより、いっぺんでたくさんの音が出せるピアノのほうがラクだろう。って、この手の合唱曲仕上げるのにまずは最初に移動ドで各パートで譜読みをする。世の中の人間は95%は相対音感型なので固定ドだと、正確に音高を取れない。それが出来たら次は固定ドで歌って、全パートを合わせて更に歌詞を入れる。ということを、さる音楽美学?!の先生から伺いました。

ピアノは移動ド唱法なんざ考えることもなく、最初っから4声体くらいなんのその。歌詞なんぞという厄介なものはついていない。

ノクターンに賛美歌がついてるわけないが、コラール風はやはり敬虔な気持ちになって端正に和音を響かせましょう。だが、表現表現とばかり言ってもいられない。この和音は本物の合唱のように1番上のソプラノ、次1番したのバス。そして内声は控えめに弾くという基本を忘れてはなりません。

3月の研究会はイギリス館そして7月の発表会はあかいくつ劇場。双方とも置いてあるピアノはヤマハ。当初、ベートーヴェンソナタの予定だったので丸ごとOKだったんだが、このノクターン弾くのならば、、。スタインウェイで弾きたい♡

練習してくる生徒~ソルフェージュレッスンのこと

これまた今となっては、大昔昭和のことだけれど、

「昔のピアノの先生って(この会話してた段階でまだ昭和だった。)30分も(これはヤマハカワイの大きな経営母体の教室標準)みてくれなかったよね。15分くらいでそれも、練習していかないと、怒って口きいてくれなくて本をパタと閉じて、それじゃまた来週ね。で帰されたよ。」

なによ。練習していかなかったらレッスン時間1分で終わったの?そりゃ、双方楽でいいわ。

このような昔懐かしい昭和も第二次世界大戦が終わった後くらいの優雅なピアノレッスン、練習してこない生徒なんざみてやんないわ。練習してきたってチーチーパッパは稽古時間15分。

指を丸めて指の先で鍵盤つかんでね。肩の力抜いて、その音間違ってるわよ。リズムが変、も1度きちんと数えて弾いてみて、指使い悪いわね、先生の言うとおりにして、ホラ出来たじゃない。この曲は上がり、次見てきてね。

こんな感じか?!

今の優しいピアノの先生に師事している生徒さんたちの中にも、本当に真面目に練習してくる生徒というのはいるモノで、言われたとおりきちんと弾ける生徒に限って本当に入門初級のピアノレッスンは15分くらいで終わらせられるのです。

その何倍もの労力をピアノというのは黙々とマイピアノで練習する。というのが王道。

1曲何十秒の曲3,4曲練習してくる生徒と、1曲最初から最後まで弾くのに20分もかかる曲練習してくる生徒とレッスン時間が一緒なのはおかしい。と、いうのがかつて昔懐かしい昭和のピアノの先生の言い分でもあるのだろうな。

だが、練習してこないヤツは帰しちまう。方式ならば、練習してこない。じっとしてない。練習したくてもなにをどうしていいかわからない。生徒のレッスンに悩むこともなかっただろう。

ちゃんと練習してこない生徒以外は帰ってもうらう方式レッスン且つうちが教えるのはピアノだけ、ソルフェージュだの論理はどっかよそで勉強しておくれ。方式ならば、入門級の生徒のレッスンは15分で終わる。

しかるに1時間に4人ばかり投入出来る。こりゃ効率いいわ。

更にこの効率を高める方式はグループレッスンというモノで、これなら練習してくる真面目な生徒。全然練習してこない生徒。お歌やタンバリンのリズムうちを楽しみにしているだけの生徒。全部まとめて面倒見る。

グループレッスンの成果について散々聞かされたし、(そりゃ儲かるでしょうよ。)に対して、決して儲けるだけのためにグループレッスンするわけじゃない。の論理も散々聞かされました(でも儲かるんだよね。)が、これまた出来る人出来ない人がいる。わたしは出来ない。

練習してきてくれて、要点を注意して合格、次の曲を練習しましょう。なんと、正統派のピアノレッスンじゃないか!!そんな生徒の場合わたしは15分で終わりにするかっていうと、、。そんな筈ないじゃないよ。今は21世紀、平成さえもうぼちぼち終わる。ピアノレッスンとて進化しているのだ。

なにより、キッチリって感じで練習してくきてくれる生徒はピアノの上達は地道な練習に勝るモノはないので上手になる。そして、ソルフェージュつまり音感のレッスンや論理や読譜が丁寧に出来る。

ピアノ上手な人は音感いいんじゃないの?つて、事は全然ありません。昔よく言った、ピアノ習ってるうちに音感って自然に付くものさ。なんていうのは嘘です。先天的にとてつもなく音感がある人というのはいるのです。(悪い人もいます。)

そんな人は聞いただけで音符が全部わかって、ささっと弾いてしまう。なんてことはなく、ソルフェージュなんてやる必要無いんじゃないか?ってくらい音感あっても、「今週はピアノの本全部教室に忘れてったから練習出来るはずないじゃん!」て、開き直られて「ならば今ここで遅れを取り戻すのだ。」なので、レッスンていうより、しつこく宿題の曲を弾かせる。初級くらいだとそのうちなんとかカッコがついて、まぁいいか!これで来週は合格にするから練習してくるのだよ。

音高が分かったって指が動かなきゃピアノは弾けない。更に、音高がわかっても楽譜を理解してなきゃ採譜は出来ない。

ピアノの技術音楽性もさることながら、音感、論理、読譜も併せてレッスンしたいので、15分じゃラチはあかない。

ピアノレッスンだって進化する。

ショパン スケルツォ2番 

わたしは昨日、ある楽譜を出してとある箇所に目を留め青ざめた。
この和音アルペジオにしないで弾けたのか?

それがこの赤丸の和音。

この曲はショパン作曲スケルツォの2番。6小節め。

この赤マルは画像加工ソフトでマルつけたがそれ以外のマルはもともと楽譜に書いてあったマル。
新品の楽譜にこのようなマルがある筈はないので、これはかつてわたしがレッスン受けていて注意を受けたマルで、タイのついた後ろの和音を早く離してしまうため「ちゃんと3拍子いっぱい弾きなさい。」
のマル。
「あんたリズム感わるいわねー。」「そっか!?そうでもないと思う。この曲がPrestなのが悪いんだ。」みたいな感じ。もちろんわたしはそのような感想を先生に口に対して出しては言いません。

ちゃんと覚えてるじゃないか!(^-^)

でなんでこの画像加工ソフトでつけた赤マル和音見て青ざめたかっていうと、この確かに下のシフラットド、下から3番目からのミフラット、ソフラット、シフラットを分割して弾いた、つまりアルペジオにして弾いた覚えはない。

ということは、この和音わたしの手の大きさで掴めるのか?
問題解決は簡単、ピアノで弾いてみればいい。

なんのことはないアルペジオにしないで弾けます。
この曲はフラット5つの調。長調なので変二長調Dフラットメジャー。

意外に楽々掴めます。

なんで突如、悩んだかというとスケルツォの2番再度仕上げてコンサートで弾こう。という野心を起こしたわけではありません。
レッスン中に参考資料として転調に至る箇所を見せたくてたまたまスケルツォ集を開いたのです。

手の小さめなわたしは時として盛大な和音については悩むので、この和音に目がいったのです。
なんで、左手の全指を使う5音の和音以外に簡単に掴めたか?

それはこの曲が変二長調だから。
なんでだ?と、いうのは変二長調というのはドとファ以外全部フラットがつくのです。

このような華麗かつ、過激な和音を弾くにはフラット、シャープがいっぱい付いてた方が楽なのです。

今現在わたしが、革命のエチュード仕上げていて妙に華麗なる属七たちに苦労させられているのは、このエチュード調整がハ短調。
ハ短調はフラットが3つ。なんとも半端な数。
半端な数のフラット、シャープがつくと自ずと白鍵、黒鍵のデコボコが大になる。

デコボコが増えれば、掴み損なう和音も増える。

ですが、フラット5つの調。スケルツォの2番が簡単だ。という意味ではありません。
この曲長い上に大変手こずりますので取り掛かるには要注意曲ではあります。





ですが、わたしは幼少の砌よりこの曲には憧れがありました。

今風の家とは違い、かつてわたしが住んでいたわたしの実家は洋間、もしくは応接間と称する部屋があり、そこにピアノ、ステレオ、ソファとコーヒーテーブルが応接セットという名称で完備し、その上カップボード(当時はそう言わなかった!)レコード入れが置いてありました。

奇跡のようにそのレコード集の中にショパン作曲スケルツォ2番が収録されたレコードがあったのです。
わたしはこのレコード再生し、雷に打たれたごとくなんとブリリアントな音楽なのであろう。

これはピアノ曲だ。
きっとそのうちピアノで弾いて見せる\(*⌒0⌒)♪

ですが、その当時のことあんまり聴くとレコードが磨り減るから、とか、応接間で遊ぶな。とか、その頃のステレオ、レコードが高価なものでレコード鑑賞というものは遊び半分に行うものではない。
という、理解なき大人たちのためにそうは頻繁に鑑賞するわけにはいかなかったのです。

話は逸れますが、そののちわたしは音感に無さにとても苦労するのですが、そのような環境下では今の若い者、子供のように音感がよくなる筈もないじゃないか。
わたしが音感がないのはレコード盤が擦り切れるのを恐れて、わたしがステレオを壊すのを恐れて音楽を頻繁には聴かせてくれなかった親が悪いんだ。

そのような幼少日々から幾歳月。
その頃ついていた先生のもとじゃ、スケルツォまでたどり着くのは遠く、とうとうスケルツォ2番を弾いたのはずっと後の話。

子供が保育園に通っていた頃、お子様向けコンサートでわたしはこの曲を弾きました。

そのことだけならともかく、わたし随分無謀なことやらかしたものだ。
と、今になれば関心しつつ呆れたのは、譜読みから1ヶ月半で仕上げて舞台に上がったのです。

今はそのような無謀なことは絶対致しません。
それだけ少女の頃の衝撃が大きくて、絶対やってみせる\(*⌒0⌒)♪
のノリでやってしまったのですが、それが出来たのは横浜市のおかげ。

横浜市の保育園はうちの息子を措置児として入園させてくれたのです。
なので、練習する時間をなんとかして確保出来た。

そのわずか数年後、わたしが演奏活動諦めたのは息子が小学生になったからです。
その頃は今のような学校にそのまま残る学童保育のクラブがなくて、学童保育といえばマンションの1室に放課後小学生たちが集まって行っていた。

うちの息子にはそのような学童保育が合うとは思えず、本人も嫌だ。と、言った。
最近になって、息子に確認。今のような学校に残るタイプの学童保育なら良かったか?

それならば入りたかった。と、のこと。
小学校は午後3時ころ終わってしまう。
夏休みは長い。

なので、わたし演奏活動はおろか、キャパいっぱいになってるわけでもないのにその頃の音楽教室も生徒募集をやめてしまったのです。

時々ネットで目にする。おうちで出来る仕事ならば通勤もしなくて済むし子供とも一緒にいられてラッキー。
ってのもそうはうまくいくもんでもないと思いますよ。