ツェルニー40番

ツェルニー50番より、クラマー・ビューロー60の練習曲より、クレメンティ、グラドス アド パルナッスムより、ひとつ手前の通過儀礼とも言うべきツェルニー40番。
エチュードマニアは別としてあまり愛されてるとは思えない40番。

今現在はわたしの教室ではこのエチュードでレッスンしている生徒は無し。

そもそも、ツェルニー40番相応の曲が弾けるようになったその日にあわせて「エチュード無しのレッスン希望。」が多い。
良いであろう。その代わりハノンで運指バージョンアップを図ろう。
ハノンもヤだ。と、言うのであればバーナム上級ウォーミングアップ及び、スケールその他練習しようか、、。

それもその筈、とうとうここまでたどり着いた日にはこのコワモテのエチュード、ツェルニー40番が待ち受けている。
ツェルニー30番までは可愛いイラスト付き、ツェルニー先生が考えついたワケではない曲のイメージにあった表題がついて、お子様でも弾けるよ((o(´∀`)o))ワクワク
楽しいツェルニー30番だよ(^-^)頑張ろうねヽ(*´∀`)ノ

の誘いはもはや過去のもの、子供のための楽しいツェルニー40番は存在しない。

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これがツェルニー40番。

これ、うちの教室のことですけれどうちはツェルニーデビューは30番から、エチュードというものも1冊上げると妙にハイにもなるのですが、ツェルニー30番、40番、50番と続くこと考えると、ちょうど40番あたりで「いつまでカール・ツェルニーっておじさんと付き合わなきゃならないのさ(`Δ´)!」モードになることは往々にしてある。

ツェルニー50番に比べりゃ音符玉がなんとなく大きく、1番2番はドミファソラソファミでなくスケール。指使いさえ間違えなきゃ1回でクリアも夢じゃないが、3番は当時もっともわたしが恐れていた分散和音。
でもここからツェルニー50番の2番クリアのあたりからわたしは分散和音、苦労しなくなってきた。





わたしエチュードがそう嫌いではなく、モノによっては好きなくらい。だが、このツェルニー40番で受けた注意はよく覚えている。
「エチュードといえども曲の形式とってるんだから音楽になるように弾きなさい。」

それが1番難しい。って、エチュードは猛スピードでミスタッチしないで弾いたもん勝ちだからいいんじゃないか、、。
そして、カール・ツェルニー先生との関係はまだ続くにせよ。40番とは永遠の別れを告げられる最後の40番。

何だよこれヽ(´o`;むやみと長い。それになんのための練習曲なんだい?
ハイ!解説、長いそして難しいこれまでの長きに渡るツェルニー40番の総括。(だからごちゃごちゃといろんな課題が詰め込んである。)
心してかかるのだ。これがクリアすれば栄えあるツェルニー50番に進めます。

いいわよ。しばらくはツェルニー先生とは別れるから、クラマー・ビューロー60の練習曲に進んでやる。(結果として50番にわたしは進んだけど。)

そして歳月が経ち、名曲をボツボツ弾けるエチュードNG希望の生徒。。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚良い!
では、ツェルニーでなく別の路線でレッスンをしていこう。

あるレッスンの日、強面曲を「弾きたい。」かつての私同様スケールは流麗だがアルペジオに難がある。
わかった。ならば、相性が悪いのなんのと言ってられないのだ。ツェルニー40番並行して練習するのだ。
全曲弾かなくて良い。

30番12番を練習する。このように、2ページ丸ごと分散和音ばかり弾いてりゃほんの4,5小節の分散和音弾くくらい楽勝となる。
健闘を祈る!じゃなく、健闘して強面の曲のひとつやふたつモノにするのだ。

嗚呼、栄冠はツェルニー40番に輝く。
だんだん体育会のノリになってくるわたしであった。





セオリーレッスン

児童生徒さんが行うセオリーのレッスン。
セオリーはセオリーだけど、セオリーの真実は何か?

小学生児童のためのレッスンのセオリーは楽典の初歩問題なのですが、セオリーの真の意味を調べてみよう。
そう思い立ったわたしは息子の英和辞典を無断借用して(断ろうにも息子は今家にいない。)調査。

セオリー、綴りはTheoryこれは良い。この綴りは本に書いてある。
辞書には赤字になっているのでこれは重要な単語に違いない。

発音記号は抜かして意味。
ギリシャ語の見ること、見解から、、。なんだ?それは、、。

学説、仮設、理論、原理、推測、意見。
なんだか、混乱してきた。更に、あの息子こんな難解な辞書使ってたのか?

勉強は若い頃にしたほうが良い。ということがわかったよ。
字が細かすぎて目の玉が痛くなりそうだ。

レッスンしているセオリーはこれです。
カッコの中の如く、楽典のワークブック、記述しながらピアノレッスンと並行して楽典的事柄まで一緒に学習してしまいましょう。

学童版で、プリマーレベルからレベル4まで、揃っています。
レベル4ともなるとなかなか高度な記述問題も出てきます。

難解であまり楽しくない楽典は後回しにしたほうが良い。
という意見もありますけど、この楽天から貰った画像のセオリーレベル1、就学前の子供には難解かもしれませんが、小学生児童が学習するには難解というほどでもバカバカしいほど退屈。
というわけでもありません。

レベル1の最初はハ長調のメロディーにフリガナ付けていきます。うちは英語音名でもドレミファソでもどっちでも可。
フリガナが終わったらピアノで弾いて歌ってみます。

その他、音符にスタッカートをつけてみよう、4分音符+2分音符=□この四角に付点2分音符を書き込む、速度記号の順を書き込む。
難しくないでしょう?速度記号の問題なんてメトロノームを使いながらやってると楽しいくらいですよ。

これはアメリカの子供なら面白いだろうけど、日本ではねー?!
と、思ったけど意外や意外、興味持った生徒が多かったのは、英字の綴り、BAGバッグは音符にするとなんだ?
BAGつまりはシラソ。シラソの楽譜と線を繋ぎます。
EGGはミソソ、CAFEはドラファミ。

12歳以上には説明だけで済ませる。音符の長さとリンゴの数との対象表。
8分音符は2つはそれで1個で全音符は4個。
赤リンゴでもいいし、青リンゴでもOK、時には金リンゴ銀リンゴも登場。

可愛らしいリンゴの数レッスン。レベル4になると増三和音つまりはオーグメントコード、減三和音ディミニッシュコード。
音階の始めの音は主和音トニック、4番目下属和音サブドミナント、5番目属和音ドミナントの記述。
最後は和音進行のカデンツァ3種類をハ長調から始まって半音づつ上がって全調で弾いてみます。

これは面白いですよ。
音楽の時間の発声練習のように旋律的に弾いたりもします。

ピアノベイシックスと並行して行うのが理想です。
だが、退屈のなんのと難癖付けられた小学生版楽典ワークですが根気のいるピアノの練習よりもセオリーの方が好き。
という生徒もいるのです。

感性でピアノが弾けてしまうような生徒は理論は退屈に感じてる(に違いない)です。

だが、興味深く学習出来る生徒はもとより多少退屈でも理論も抱き合わせで学習しましょう。
わたしもかつて、調性を全然学習しないで(そんなこと学校で習え。ってことか?)ショパンのワルツ1番弾いていた。
という無茶苦茶されて理論ちゃんと習ってればもっと効率良く練習できたのに!

と、恨み抱き、更に最近は4分の4拍子は?の答えが「1」。
これ昨日今日、ピアノ始めた生徒じゃありません。ツェルニー40番程度弾ける生徒です。
ではでは、遅ればせながら楽典の学習いたしましょうね。

ピアノ弾いていればそんなことは自然と分かってくる。
こともあれば、永遠に謎なこともあるのです。

なので、今日も明日も初歩段階では楽典ワークブックレッスンしております。





年長者のためのピアノ入門

昨日までとは趣を変えて、大人から始めるピアノのレッスン。
この場合あくまで大人の初心者のためのピアノ教材、かつてのように子供向けがイラストを入れて音符玉を大きくすればよい。
したがって大人向けは原典どおりの大きさのバイエル使えば全く問題なし。

それでもいい。と、いえばいいのですけれど21世紀になった今ややランボーなご意見であると思われます。

わたしが成人と12歳以上の初心者の生徒さんの多くに使っているのがこの教材。

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地色の黒と3色のポピーがなんとも大人っぽく、同系統の幼児向け児童向けのピアノレッスンシリーズの原色のお子様向けイラストとはなんという違いでしょう。

対象年齢は12歳から、おやまぁ、ピアノって12歳で大人扱いなんですか?
って、プレティーンエイジャーが大人か子供かはとにかく、12歳になれば抽象的な論理、文字の解読、数量の観念が理解できている。
つまり小学校も6年生くらいになれば、4分4拍子は4分音符をひとつの単位にして4拍になる。の説明で理解できる。
したがって、お子様向け使わなくても問題はない。

幼児、小さな児童となると、4分の4拍子はタンタンタンタン、ターァンターァン、タタタタターァンとこのようにリズム打ちして楽しくレッスンいたしますよ。
拍子の論理説明はもーホント、分数が学校で始まる年頃になると冗談みたいにラクになります。





ともあれ、この本の原題はThe Older Beginner Piano Course by James Bastienまんまです。年長者と翻訳しているところがなんとなく後期高齢者連想しがちですが、対象年齢12歳以上です。
上限はありません。後期高齢者のお年頃の初心者さんでも全くOKです。

年長者のためながらも楽譜は線が5本間が4つ、ト音記号にへ音記号をカッコをつけて大譜表となる。それがピアノの楽譜のような説明はちゃんとしてあります。
大譜表初めての曲はメリーさんのひつじ、なんとなくこれはお子様風ですが最初からコードネームと和音記号両方の説明がされていて、楽譜はコードネーム付き、Cのコードはドミソ、G7はシファソから始まります。
幼児向けはG7がフォソだけ、大人は最初からシファソの位置に手が届くのが普通なので省略ナシ。

次は「軽くこげよ」ですが、なんのことは「ちょうちょちょうちょ」です。次「聖者が街にやってくる」そのように徐々に難しい曲に進んでいくのは定石ですが、単元の終わりに復習ページがある。

始めの頃は2分音符その他を書きましょう。休符を書きましょう。音符を読んで(本当に記述する。)ピアノで弾きましょう。
小学生のドリルの如く、年少者のためのセオリーのお稽古の如く、単元の終わりに学習する場面が出てきます。

わたし成人の生徒さんにはやるやらないは選択にしております。
けれど、中学生の初心者さんいは是非記述して学習してもらいたいです。
せっかく記述学習時期の旬です。

1冊終わると次はレベル2に進み、初心者卒業して次の段階はどこにどう進むかは相談して決めていきます。

そして、レパートリー補と記述されたレベル1終わりまで来ると弾けるようになる曲は「ヘ長調のメロディー」原曲ルービンシュタイン「ダニューブのさざなみ」原曲イバノビッチ「白鳥の湖」のテーマ言わずと知れたチャイコフスキー「マリオネットの葬送行進曲」原曲グノー「ハンガリア舞曲 第5番」原曲ブラームスくるみ割り人形より「ロシアの踊り」これまたもとはチャイコフスキー。

全て、無理なく弾けるように編曲されております。

このように楽しい大人(12歳以上)生徒さんのためのレッスンのご用意万端にしております。
入会申込、もしくは体験レッスンお申し込みはここの右メニューのe-mailから、またはHomeに戻って24時間Web予約のバナーをクリック。
お電話のお申し込みもOKです。





ピアノ演奏基礎教本

わたしが持ってるレア物教則本。
ピアノ演奏基礎教本。

旧ソ連で行われてたピアノ教育システムの教科書。
音楽之友者出版ですが、絶版。古書市場ではびっくりするような値段で流通中。

結果からいうとこの本は全然使わなかったので教本としての使い勝手についてはわからない。

ただ、そんな高値で今取引されてるんなら、書き込みしたり名前書いたりしなきゃ良かった。
美品だったら売れただろう。

ちょうど欲しいと思ってたミネトンカのモカシンが買える値段で取引されてるのに残念だ。

この教科書、この本でどのように旧ソ連のお子様たちを教え導くかが、それはそれは丁重に解説してある。
そもそも最初の頃はその解説書のほうが多い。

まずは歌から入れて歌で覚えたらピアノを弾いて、、。
それは良いのだが、説明は長く言葉は抽象的、最初の方に大昔の音楽の教科書みたいな楽典の手引き、つまりは楽譜の見方が書いてある。
楽理はこれで済ませようってことか?

このピアノ演奏基礎教本、わたしがその頃既に慣れ親しんだお子様向け教本、幅の広い5線にドをいっぱい書いてみよう(^-^)
丸が上手に描けたら次はト音記号とヘ音記号を書くのに挑戦。

高い音のドを弾いてみよう。低い音のドは左側。以下省略。
つまりはこのようにかゆいところに手が届くような教授法教本とはなんとなく異質。

そろそろ自我に目覚めて、抽象的な論理に長けはじめ子供だましをバカにするお年頃。
中学生くらいならば丸ごとOKな気がするが、小学生の子供にこれかよ(悩む)

更には子供のための教則本であるにも関わらずイラストのひとつもないのは流石に旧ソ連。

優秀なるソ連のお子様たちは本当にこのような教科書で興味深くピアノのレッスンを受けるのか?



わたしはロシア式(もうロシアになっていた。)ピアノ教授法という講習会を受け実際に教授法のレッスンにも通った。

そこで習ったのは響きを大事にして、いい音を引き出す演奏法(高度だ。)それを教える。
肩の力の抜きかた、そして手をどの場面で固めるか、強拍と弱拍で指先の使い方を変えることで流れを生み出す。

教授法は素晴らしい。

それは素敵なのだが大きな疑問?
この教則本使わなきゃダメですか?ロシアの少年少女には馴染み深いロシア風子供の歌が出てきてるのはいいけれど、このようなロシアわらべうたは日本の童は知らぬ。

この質問に先生は「教則本はなんでもよろし。バイエルでもメトードローズでも、YAMAHAが出してるオルガンピアノの本、はたまたアメリカ式の(これはわたしが使ってる。)教本でも。大事なのは美しい響きを教えること。」

激しく納得。

だが、もうひとつの疑問。
ピアノのお稽古がかつてイミ嫌われた原因。
お稽古に通うには、宿題の曲を弾けるように練習しなければならない。(これがなかなかできなくて叱られて泣かされた。)

西側諸国の場合、子供をピアニストにしようという大志を抱いている保護者(普通母親)がいれば問題ない。
練習は親がみてくれる。

先生は「来週はこの曲とこの曲をレッスンするのでおさらいしてくるように、では、ご機嫌よう。」
で、生徒はママと一緒に懸命に練習してきてくれる。

だがな。東側である旧ソ連普通、共稼ぎだろうから親がそうそう子供のピアノに付き合ってくれるとは思えない。

この事象についてはわたしが質問しなくてもロシア式教授法の先生は教えてくれた。

やはり、東側はほとんど共稼ぎ(今は日本だってそれに近いけど。)なので親に譜読みは丸なげ出来ない。

だから、課題曲かなりのところまで弾けるようになるまで先生が教えるんです。
児童に、レッスン室で弾けなかったもの自前で練習しろ、ったって出来るもんでもない。

そうか(゜д゜)そうだったのか、練習の自立果たせるまではソ連の先生面倒みるのか!
これには続きがあって、、。

だから、先生生徒ともに懸命に稽古が始まるとそのレッスンは2時間にも及ぶことが、、、。

なな、なんだってΣ(´∀`;)ホントか??
そりゃ、まぁ、事情はかのロシアそして旧ソ連、やはり児童といえども選ばれた子供しかピアノは習わないのだろうか?

だが、残念この疑念は解明されぬまま、わたしは諸事情でロシア式教授法のレッスンには通えなくなった。
残念であった。





ソナチネ 続編

ソナチネアルバム突入で、当初は多少は得意がったもののわたしがその頃ついていた先生はこのソナチネアルバム1巻のソナチネ編(小さめのソナタ等も入ってる。)全曲弾かせようかって勢いの悪魔のような方。
けしてソナチネを愛しているとは言えないわたしはここらでピアノを辞めることを画策。

後に解明したことだが、わたしと違いソナチネ突入で退会成功者は多数。

何故、わたしが退会失敗しその後もエンエンと、本当に文字通り延々ピアノ続けた原因となった曲はソナチネアルバム1巻10番クレメンティ作曲Op.36No.4ヘ長調のファーーラファッドーのソナチネ。
ソナチネ珠玉の名曲です。か、どうかは個人の好みの問題と思われますが、、。

わたしクレメンティ先生には誠申し訳なく、なんとサエない曲だわな。の感想抱いていたのですが、この曲を仕上げる頃になって、後半長々と16分音符のパッセージが続くのところ、もしやわたしは悪魔に魂を売ってしまったのではないか?
とさえ、思うほど指まわりが良くなったのです。

これは驚くには当たらない。芸事というのはそういうものでそれまでの練習、稽古の積み重ねがあるとき飛躍的に進歩する。
曲の好き嫌いの問題ではなく、それまでには見るもうんざりした16分音符の山制覇が楽しくなった(*´∀`*)

(@^▽^@)はははやったね(*^^)v
わたし指が動く嬉しさのあまりしつこくこのパッセージ繰り返し弾いていたら。

うちの母親、「えー、とても最近はソナチネが好きならしくて練習しろって言わなくても毎日弾いているんですよ。」
と、先生に言いつけていたガ━━(;゚Д゚)━━ン!!

もー、ソナチネが好きなんじゃないよ。指が動くのが嬉しいだけ。
わたし見かけによらず気を遣う質なので、ソナチネが好きなんじゃないよ。指が動くのが嬉しいだけ、ソナチネヤメにしてエリーゼのためにみたいな曲弾かせろ。

とは、言えなくて「えー、まぁ、、。なんとか、、。?(ピアノやめ損なった気分)」




わたしがピアノをやめ損なった曲の作曲者はムツィオ・クレメンティ名前なんとなく冗談みたいですが、それでわかるようにイタリア人です。1752年~1832年。
18世紀生まれにしちゃ凄く長寿じゃないか?
この方、このような可愛らしいソナチネで有名ではあるのですが、ソナチネ如きで驚いてはいけない。

上級者向け練習曲クレメンティ「グラドゥス・アド・パルナッスム」も作曲。

今やわたしはクレメンティ先生は、ソナチネより「グラドゥス・アド・パルナッスム」のほうが印象大。

クレメンティ先生以外ではあと一名、フリードリッヒ・クーラウ、ドイツ人1786年~1832年。
クーラウ先生のソナチネも一曲くらいはお稽古したい。

わたしはOp.55 No.1ハ長調ソナチネアルバム4番の曲が1番好き。

年代見て頂いてわかるとおり、18世紀生まれの作曲家の曲なので古めかしく感じるのも仕方ない。