add9て何だ?

わたしのレパートリーでもある「わたしを野球につれてって」が収録されてもいるこの楽譜。

当然ジャズスタンダートなので、ほぼ基本3和音で構成されているまだピアノが木枠で出来ていた古典派時代の曲とは違ってわたして的にはこの曲集の曲超キテレツなコードネームが付いている。

うちの教室は基本的なコードネームは教えている。
わたしが使ってる教材のバスティンベーシックスのセオリーにはオーグメントコード、ディミニッシュコードの解説と実践はあり。

この黄色い本がこのシリーズの最後の砦、和音の構造の仕組みが(ここまでやるのかい?!)というくらい解説出題されている。

したがって、組みとして使ってる。pianoのほうがとっとと終わってもセオリーの問題だけが残る。ということはおうおうにありうる。
ピアノ弾けたんだからいいじゃない。ということにはしないことにしている。

ピアノのほうを多少飛ばして上げてしまってもセオリーはしつこく、ブルクミュラーに入っても1問づつでも制覇させる。

一時音感教育、ソルフェージュ重視という考えがあって天性音感のないわたしは張り切ってこれは正しい!!
と、考えたのだがなんだか最近はこれが虚しくなってきた。

わたしが育った環境と今は時代が違う。
困ったことに(ソルフェージュ重視するには)今時の子供、若者はほっといても音感はいいのだ。

再生機器がない、もしくはひどくチンケだった時代は音楽を鑑賞するということはとても贅沢なことだった。
だが、今は端末に入力すれば好み、もしくは気になる音楽は聴こえてくる。

わたしが子供の頃、学校の音楽の時間に音楽教師がもったいぶってありがたくもいい音楽を聴かせてやる。学校には凄い再生機器があるのだ。
と、ドヤ顔してレコード盤に針落として、挙句、生徒どもの鑑賞態度が気に食わない。だから、おのれらなんかにはもう素晴らしい音楽は聴かせてやらないからな。

とキレられて、うんざりして(うちにだってステレオくらいあるわ。)と、心の中で毒づいた。
とこのような、ノスタルジックな思い出があるイヤな時代。

あの環境じゃわたしの音感が良くならなかった筈だわ。
オーケストラ曲のひとつやふたつ鳴らされたところで、ありがたがらせられたんだからたまったもんじゃなかったわよ。

そうよ。これは素質もあるけど環境の問題もあったのだ。あんな時代、わたしに負けず劣らず音感悪い輩は多かったに違いないのだ。
だもの、テクニックレッスンよりソルフェージュ、ソルフェージュとソルフェージュさまさま教育を啓蒙していたのだ。

誤解されると困るので言っときますが、わたしちゃんと子供のためのソルフェージュで音感レッスンはしております。
ですが、まぁ今時なんとなくやってりゃ、音感よくなってしまうことが多いのでかつてのようにマナジリ釣り上げて張り切ってはおりません。

だが、なんとなく良くなってしまわないのが楽典的事項。

音楽は楽しけりゃいいのだから楽しくない楽典は後回していいの!
とは、思いません。だいたい音を楽しむものが音楽、って認識が変じゃないか?
楽がついてりゃ楽しいなら、楽典は超楽しいことになる。

音楽が楽しくて楽典が楽しくない。というのは矛盾している。

音楽だって楽しいのばっかりじゃないじゃないか?これ相当な好みの問題があるから、その趣味がない人には平均律なんか聴いても退屈だと思っっても不思議じゃないし、だいたい平均律弾く方だって楽しいとばかり言ってられないよ。
好きな人にとっては血が騒ぐ、ノリがいい。って、音楽だって人によってはウルサイ!!って感じるだろう。

それにね。ここだけの話、セオリーよりツェルニーのほう楽しくない。って、子供多い。

とにかく、調性や和声、音楽の決まりごとはレッスンしたほうがいい。
ピアノが弾ける。って言っても楽譜の左上に4分音符イコール80って書いてあって、この意味が分からないんじゃ、文字通り意味ないでしょ。

で、話戻してコードネームのこと、わたしの教室のセオリーレッスンでは属七、増和音、減和音くらいまではそれはしつこく学習するのですが、ジャズスタンダードに出てくるようななんだこりゃ?!和音まではやっておりません。

そもそもクラシックの楽譜にはコードネームはついてないし、古典曲にはギョッとするようなコードはないのだから、これくらいで卒業(祝´∀`)ノ.+:。卒業おめでとーいたします。

だが知識として覚えとけば楽しい(´∀`*)
それにね。プロフェショナルユースの楽譜にはクラシック曲とはいえコードネームが付いてる場合があるのですよ。

ウェディングの場面やラウンジで弾くに相応しい曲が網羅されている曲集ですが、クラシック曲も多数収録されています。
G線上のアリアやパッヘルベルのカノン、月の光その他、全てコードネームが付いています。

これはポピュラーピアニストにとっては感覚的に解り易いのでしょうが、人によってはコードを見てその場でアレンジして弾いてしまうのです。
わたしにはとても真似の出来ない高等技術です。

そのように、コードについての講釈ですが、わたし音楽はⅠの和音。つまりハ長調ならばコードC、ヘ長調ならばF、変ホ長調ならばEフラットで終わる。
始まりは時に裏切ってⅠの和音で始まらぬこととてあるが、、。終りは、、。

この最初の方の曲集「華麗なるジャズスタンダード」ト長調でもGで終わってないのあるよ。
なんで終わってるか?Gadd9。

いえいえ、9ばかりじゃない。6とか11とか。何でしょうね?
6や11はここでは置いといて、add9は書いてあるとおり9を足すのです。
音を9個足すわけではありません。Gadd9のコードネームはGの和音つまり基本形はソシレ。その根音のソつまりはGから9番目の音を足し算します。
というか加えます。

Gから数えて9番目の音はラAを仲間に入れてやるのです。
待てよ。9番目は2番目といっしょじゃないよ?だったらadd2で良くないか?

そうですよね。そのほうが解り易いですよね。ですが、わたし的にadd2っていうコード見たことありません。
2より9のほうが縁起のいい数字だからかしら?いえ、そんなことはないと思います。きっと楽理上の理由があるはずです。

ですが、なぜ2でなく9なのかはわたしにはそこまで知識ありません。
では、終止の和音ソシレでなくソラシレで弾いてみましょう。
グンとお洒落でモダンな終止和音です。

ですが、これ2度のオンパレード、現代人が聴くから洒落て聴こえるんで、古典派の時代なら「あ〜ーーァ!!最後の音間違えた!気持ち悪い(。☉౪ ⊙。)」と、喚かれたに違いないのです。

音楽は古典派の時代からかくのごとく進化を遂げた。これは作曲したり演奏したりする側だけじゃなく、鑑賞する方だって進化しているのです。
終止の和音は純血のⅠだけとは限らない。9番目の音が入ってることもあれば、6番目11番目が入ることもある。

だが、このような終止を取る曲は大抵は大譜表の上にコードネームがついているので参考に致しましょう。





夜の時間

うちの学区の小学校は5月26日が運動会。隣の学区も26日。うちの5軒先の盲学校も26日が運動会。
わたしは土曜日普通にレッスンする。この日は小学生がいない。
保育園児と大人なので影響なし。

息子が小学生の頃は運動会は秋だったが最近は変わった。
運動会が近いと筋肉痛の生徒、声が枯れた、疲れて眠くなる。
運動会が引き起こす様々な事象に見舞われる。

ついでにわたしも咳き込む、この暑さの中時々寒気がする。疲れが抜けない。
等、体調がいまひとついまふたつ。
わたしは運動会に出るわけじゃない。したがって慣れない運動して疲れ果ててるワケはなく。
更に運動会の指導してるわけでも、息子が運動会に出るんでわたしまで張り切って疲れたわけでもない(; ̄д ̄)

だいたい運動会大好き(*^ω^*)息子は社会人となってとうとう運動会との縁は切れた。

寒気がするし誰かから風邪もらって微熱でもあるのか?!
熱計ったら、35度7分。
何よこれ、、。わたし冷血動物になったのか?
わたしの平熱は36度3分前後。夕刻になると36度7分くらいまで上がることもある。

疲れてるのに眠れない。
大丈夫か?わたし、、;どこか悪いに違いない。だが、この場合どの医者に行けばいい?
どうも自律神経が失調しはじめてるらしい。

自律神経失調症って、何科が専門なんだろう?
医者よりサプリでも飲んだほうがいいのだろうか?
まだこれくらいならば生活習慣で治せないか?

生活習慣で思い当たることはある。
それは睡眠不足。最近、「夜明けとともに起きて、昼のピアノの練習時間を確保する。朝、家事、デスクワークは片付ける。」
と、一念発起して夜明けに起きるべく努力(起きれないことも多し)したものの、今現在の横浜市の夜明けは4時36分。
それはいい。
4時代に起床する人はいくらでもいるであろう。朝は爽やかだ。

だが、わたしの問題は早起きしても夜の9時に寝るわけにもいかないことにあったに違いないのだ。
わたしが睡眠時間の短い体質ならそれでも問題ないのだろうけど、残念わたしは睡眠不足に弱い。



そんな時、わたしはYahoo!で早起きは健康に悪影響を及ぼす。という記事を発見した。
そんなことあるものか?!そんなこと言ってたら、パン屋や惣菜屋の人はどうなるんだ?
病気になって早死にしちゃうのかい?

わたし、パン屋さんや惣菜屋さんの、朝3時に起きて仕込みする。という話が頭にあったもんだから4時半に起きるなんて楽なもんさ。
とタカをくくってた。
だが、わたしに限って言えば早起きは健康に悪い。という学説は当たりだったらしい。

わたしだって朝5時に起きなきゃ間に合わないバイトしたことだってある。
だが、今の暮らしは考えてみれば早起きする必然性はないのだ。
ピアノレッスンは午後からパフォーマンスを向上させる必然性が普通はある。

コンサートも多くは夕刻からマチネーだって午後から。

なので、今朝から頑張って夜明けとトモに起きるのはやめた。
7時、正確には6時55分まで寝た。
就寝は23時30分。

どうなったかっていうと、たちまちパフォーマンスは向上寒気はしなくなった。
変な疲れもなくなった。

なので、このブログも夜書いている。
今の体温は36度1分。まだ低め。

これからは夜の時間デスクワークしよう。
どのみち朝4時からはピアノの練習はできないのだ。





ピアノレッスンと中学校の部活

小学校は6年で終わる。日本は中学までは義務教育なので次は中学生になる。
高校以降は義務ではないが大抵は進学する。

それが何か?って言うと、少子化なのとピアノレッスンが頭打ちというか飽和状態?!なのとで、組織化している音楽教室では大人になってからのピアノレッスンとか、老後始めるピアノレッスンを打ち出しているけど、やはりピアノレッスン旬でモードなのは幼稚園保育園の年中あたりから小学生なのだ。

ピアニスト目指す少年少女、ピアニストじゃなくピアノの先生目指す少年少女にとっては中学生くらいから、からだ大きくなって集中力も体力もついてこれからが旬なのかもしれないがうちのような町の音楽教室の場合音大目指すような生徒比率は多分1%くらい。
つまり100人にひとり、教室キャパは15人からせいぜい40人なので、そのような生徒が在籍していない事の方が多い。

音大受験科とか、コンクール特化組みたいなの作れば比率は変わるんだろうけれど、その気は今のところない。

そうなると中学入学というのは一種の関門。
はっきりピアノは中学に入るまで、と決めている家庭もある。

本人が中学生になったら部活とその他やりたいことあるから、、。ピアノやめる。
これで、やっとピアノなんて辛気臭い習い事から解放されるぜ。のようなノリがあることとて否めない。

そのようなことじゃ、ダメですね!ヽ(`Д´)ノとは、わたしは思わない。

中学に入ったらピアノやめる。は、生徒はピアノよりやりがいあることを見つけたのであろう。

もちろん中学の授業、部活とピアノとの両立は可能。原則ピアノレッスンは週に1回30分から1時間くらい、塾や他の習い事に比べて通うのにそれほど問題はない。
マイピアノで練習しなきゃならないのがキビシイが、それとて練習が足りないってギャンギャン怒るような先生じゃなきゃ間に合わせることは不可能じゃない。





今は進学、進級が落ち着いた時期なので。進学や進級で退会した生徒と継続する生徒がで揃い時間割が定着した。

中学進学組はみんな部活する。と言うのでわたし内心継続を危ぶんでいたのだが、、。部活してもピアノは続けてくれました。
公立中学だと、部活は週に2日はお休みする(これは教員の労働条件のためらしい。)そして夜の8時9時まで拘束されるようなこともない。なのでピアノOK。

だから発表会も出られるし、塾にも通ってる。
なんだか中学生は忙しいね。

うちの息子も卒業した横浜市立の中学、つまり教室の学区の中学なのだが、ここは公立中学とは思えぬとてつもなく硬派な!?部活があるのだ。
息子帰省のおり、学区の中学の部活について尋ねるも息子の情報はもう古くかつ、記憶も曖昧にさえなっている。

なのであまりアテにはならぬ。

その硬派な部活は吹奏楽部。
3月に定期演奏会を行う。しかも、真新しいコンサートホールを有する1番ご近所の私立中高一貫校、聖光学院のラムネホールで。
輝かしいコンクールの入賞歴を誇る吹奏楽部。

ヤマハに行くと見かける吹奏楽部と思われる少年少女。
吹奏楽部専門誌も置いてある。

息子の高校時代は野球部の応援に欠かさず来てくれた吹奏楽部。

中学の半端でない部活、吹奏楽部は週に2日は部活はお休み。の規定は無視。
部活は毎日、土曜日曜祭日も練習する。

そりゃそうさ。楽器というものはそう簡単に習得できるものでない。
まだマイ楽器なき頃は学校の楽器借りるんだろうから学校に行かなきゃ練習出来ない。

更にピアノと違って吹奏楽はチームなのだからマイペースで行うわけにはいかない。
驚いたことに(私立じゃないのに)合宿まである。
ご丁寧にもわたしの教室の夏の発表会の日と同日程。

やってくれるな!

これでお判りと思うが、そう、今年度中学に進学した生徒が吹奏楽部に入部したのだ。

3月の定期演奏会は先にしてもこれから管楽器を習得して、合宿、その次は横浜市大会に出場する。(大抵は県大会、東関東大会と進み、全国大会もきっとユメではないのだ。)
わたし、これは絶望と腹を括った。

ところが!!ピアノは続けたい。とのこと。
ただ、レッスン時刻は遅い時間に修正して、ハノン、エチュード、バッハ、曲のようなフルコースのレッスンは無理。
との要請。

そりゃそうだ。
それはわかる。
わたしも息子が高校で硬派な部活だった。(高校硬式野球部となるとピアノレッスンはほぼ絶望)

よくぞ、続けてくれた。
フルコースなんてレッスンしなくてもいい。
ピアノはマイペースで出来る。

発表会だって直前キャンセルがあっても直前で出演希望出されてもなんとかなる。
それでコンサートがぶち壊しになることはない。

ピアノは息の長い習い事。





銀座のヤマハ

今日は銀座のヤマハに行ってきた。
銀座のヤマハに行ったのは何年ぶりだろう?

以前とはなんとなく、いや全然違うんですけど、、、。
そのようなことはいい。
銀座のヤマハ。横浜のヤマハより、もっとなんでも売っているに違いない。
そもそも地価からして横浜のヤマハとは比較にならない(高級?)ヤマハ。

その期待違わず、見たことないヤマハの(ヤマハで売ってるんだから当たり前だけど)デジタルピアノに遭遇。
マトモ、鍵盤だけで5万円ちょっと、っていうピアノ。
「これ本当に、鍵盤だけのお値段ですよ。台は別売りです。」
とのことだが、ナニうちのセカンドピアノとしてはそれでいい。
今のセオリー、聴音の学習をする机の上に置けばいいのだ。

買わなかったけれど、検討の余地アリ。

楽譜売り場は更に大掛かり、オケのパート譜まで売ってます。
だものわたしが必要とする楽譜はすぐさま発見。
ヨハンセバスティアンバッハの平均律1巻。
思惑通り、いくらでもいやというほど、版が揃っております。
平均律いかに制覇するか?の攻略本まで売ってて。良いわ。煮詰まったらこの本も買うわ。

平均律ともなると場合によっては攻略本必要となるかもしれない。(本日これ買わなかったのは予算というものがあるからだ。)

わたしが本日もとめたのは

やはり原典版にした。
自筆譜と手写稿に基づき、校訂ヴァルター・デーンハルト 運指法デートレス・クラウス。
つまりだ!日本語で解説が付いている。
だから音楽之友社版いいって!ヘンレ版やペーター版他の作曲家ならいざ知らず解説して欲しい楽譜ではわたし的にとても不利なのよ。

ドイツ語や(短大で第1外国語で高校でも必修だったけどさっぱりわかりません。)フランス語は全然分からず、辛うじて英語が読めるがその読解の速度たるや新1年生の日本語読解力といい勝負じゃないか?って、お粗末さ。
わたしが天性外国語読解のセンスがないにちがいないのだが、いーえ、それだけじゃあるまい。
若かりし頃の勉強不足のツケ。ドイツ語だって、真面目に勉学してれば今頃はドイツ語解説だって読めるくらいの語学力がついたかもしれない。

若者よ。外国語を勉強いたしましょう。

だが、解説付き原典版を我がものとした今、違う版も見てみたい気する。

↑これは値段が安くて助かる全音出版の平均律なのだが、わたしが大昔持っていたインヴェンションとシンフォニアは全音版はツェルニー版だった。
なので平均律もツェルニー版なのかと思ったら、なんと!世の中は進み全音出版も進化を遂げているらしい。

原典版から標準版(てなんだ?)このクロール編というやつ。
6月から木曜日が休養日となったので、再度ヤマハにに行ってよーく観察する必要がある。
攻略本と標準版くらいは揃えたほうがいいかしれない。

だんだんわたしは平均律のコレクターとなるであろう。
そのうち、スタジオラッキーキャット蔵書の印を作ろう。

今日は平均律は音楽之友社版だけにしといて(予算があるから)勉学に部活に頑張って、ピアノもやめずにいてくれる中学生生徒が好きな音楽。
米津玄師。
なんだそれ!?よねづって料理の材料か?と、その手の音楽に疎いわたしは叫んでしまったが、米津玄師もちゃんと揃えました。
lemonという曲は売り切れていたので

ピースサインと、

打ち上げ花火。
きっと素敵な曲でしょう。
フェアリーという会社がピアノ譜出しています。
練習しようっと。

平均律について詳しい進捗状況はここで後日報告しようと思います。
わたしの休日も今日で終わり、明日からレッスン開始。

平均律からショパンエチュード、冬の発表会のためのクリスマス(チャイコフスキー四季)そしてピースサインと打ち上げ花火の練習も開始です。





バッハ平均律10番2声のフーガ

かつて横浜市では広間演奏会という催しがあった。
今でも開催されているものか?

興味を持ったのは演奏会に聴衆として参加しよう。と、考えたわけではない。
出演者を募集しているかを知りたかったのだ。

再度音楽教室を始めるに当たって、これからの教室はブランド化を目指せ!
というご意見が尤も。と、思い。ではうちもブランド化いたしましょう。

だが、わたしのブランドって何だ?
残念ながらわたしは超難関の音大出身じゃないし留学経験もコンクール入賞経験もない。
「人間教育も行っております。」と、胸を張れるようなキャラでもない。
保育園、幼稚園の先生の資質もあまりないのでリトミックの指導も出来ない。

思いついたのは弾けること。
だが、これの欠点は自己申告ばかりじゃアテにならぬ。と、考えられること。
したがい、どっかで弾いてみせよう。

発表会でまずは次こそ弾くことだが、これは年に2回、横浜音楽研究会というところに所属していて発表は行うが、これは内輪。(ついでに発表会だって内輪だわ。)
そこで思い出したのがカノ広間演奏会。
さて、オーディションやってるか?!

ったら、やってたv(=^0^=)v
年齢制限は上限はないみたいなので受けに行くことはできそうだが、なんと日程は6月。
来月か?!なんとかならないか?!
Σ(|||▽||| )ダメ、とりあえず今年は諦めなきゃダメだ。

課題曲が平均律のフーガだと\(◎o◎)/!それも暗譜。
弾けないの?ってことないわ。弾けるわ。
だが、来月じゃ間に合わない。




この演奏会のオーディションについてのことは後日に譲るとして、平均律、一時はよもや2度と弾くことも指導することもないであろう。と考えていた。
ピアノの旧約聖書。らしい。

来年、このオーディションが行われるか定かでないし、課題曲はわたしを裏切り平均律でないものを出題するかもしれない。

だが!チャレンジするのだ。(平均律暗譜するのか?!時々わたしってつくづく懲りない人だと思う。)
このような場面で平均律のフーガを暗譜して弾け。と、いうことは違う場面でもきっと平均律と関わる場面があるに違いないのだ。

では、何曲かの出題の中でわたしが弾いたことあるやつから制覇しよう。
10番のフーガホ短調。
この曲1巻の中では唯一2声。
勇猛果敢にわたし5声のフーガに挑戦したこととてあるが、平均律から離れていた今声部の少ないやつから取りかかる。

2声ってなんのことよ?!はね。平均律はプレリュードとフーガがワンセットになっている。
プレリュードはフーガの前座で特別に何声。というとはないのだが、フーガの方は2声だと右も左も類型のメロディーとなる。
動機となるメロディーから始まって、それがある程度のケリがつくと5度上の音から左手でそのメロディーが始まる。
そこから複雑怪奇な展開となり、声部というように両方が声であるかのように語り合うのだ。
手は2本あるので2声だと、間に合う仕組みとなるが、3声だと片手が2つの旋律を担当することとなる。

練習するは1声部ずつ弾いていくのが鉄則。
困ったことに1声部づつだとなんとか弾ける。
4声だと4回、5声だと5回となるが、これを合わせる段階になると3声でも(本当は2声でも)うまくいかない。

だって全声部旋律の切れ目が違うんだよ。うまくいく筈ないじゃない。
そのように開き直るワケにはいかないので合わせるが、4声、5声となると縦線合わせるだけで精一杯になる。
フーガなんだから横の流れ意識しろ!って言われても、、、無茶言うな!!

4声、5声の苦労はさておいて(2声から始めるんだから)どこの版でもかまわぬ。
というお達しもある。

楽譜なんてどこでも一緒でしょ。というのは大抵は当たり。
ペダルの位置が若干違ったり、モーツァルトのトルコ行進曲だと、シラソラが多分モーツァルトが書いたとおり装飾音符で表されてる版も、全部16分音符で表記している版もある。
が、そう大きくは違わない。

ところが、ヨハン・セバスティアン・バッハ大先生の曲は音符位置は変わらねど、版によって違うのだ。
モーツァルトの時代は今のピアノより軟弱ながらもピアノという楽器は存在しモーツァルトピアノソナタはピアノのために作曲された。
もっとも88鍵ではなかったらしい今のピアノより小さいピアノ。ながらもピアノはピアノであった。

だが、偉大なるバッハの時代はピアノそのものがなかったのだ。
そう言うと、それじゃどうしてたの?
と、尋ねられるのだが(ははは、おもちゃのピアノだったんだよ。)この頃はピアノの前身のハープシコードとかクラヴィコードと言われる鍵盤楽器でそれらの曲は演奏されていた。
どんな音かというと、デジタルピアノ持ってる人はハープシコードの音が入ってると思うので聴いてみましょう。

でまた、このハープシコードその他の楽器は今のピアノのように黒くノッペラボーではなく様々な装飾が施されて美術品としての価値は高かったんだろうけれど、強弱はほとんど付けられず鍵盤楽器としては今のピアノの進化前の形態。
小さく軽い楽器だったに違いない。(わたしはこの手の古典楽器弾いたことがない。)

しかもピアノのように標準規格なかったので2段鍵盤のヤツもあり。

なので、現在のピアノで弾くために編纂(この字は書けない!なので自筆するときはひらがなで書く)が行われたのだ。
その版は多数存在する。

この広間演奏会のオーディションは誰が編纂したのでもはたまた原典版を用いても暗譜して弾けば良い。ということだ。

わたしが持っているのは春秋社版。

これの↑の1巻。楽天に2巻しかなかった。井口基成 校訂版。

原典版にはないはずのフォルテもピアノもレガート、スタッカートの指示もついています。

では、この版で1声体ずつ弾きましょう。
ここで困った問題発生!
allegroこれはいい。出だしフォルテ。これもいい。
次(non legato)なんだって!バッハがそうしろ。って言ったのかい?言うはずはない。いやわからない。
バッハは1750年にしんでしまった。

わたし、このフーガ、ノンレガートで弾きたくないのよ。
ときたま、全てノンレガートで弾きたくなるバッハ曲というものがあって、その時ついていた先生に「スタッカートで弾いたの?」
と尋ねられ、「変でしょうか?」と言ったら「好きにすればよろしい。」(@^▽^@)
だからいいじゃないか!

ではない。これはレッスン受けに行くんじゃない。オーデションだ。
どこの版か書き込む欄があるに違いないのだ。選出した版に忠実に弾いているか審査するのかも知れない。

なので、ノンレガートの指示のない版を探そう。
ちょうど明日から連休、わたしは大人の生徒さんのお友達の絵の展覧会が行われている銀座に行く予定がある。
銀座のヤマハに行って、わたし好みの編纂の版を探そう。

この場合は直接楽譜売り場に行くに限る。
楽天やAmazonに電話して平均律の10番のフーガ、ノンレガートの指示のない版ありますか?
って、聞くわけにはいかないだろう。
何聞かれてるんだかわからない。っていう可能性のほうが大きいわ。

ヘンレ版が、多分原典版と思う。
だが、ヘンレ版の欠点は日本語解説ついてない上に値段が若干高い。

とにかく楽譜が山をなしている銀座のヤマハに行こう。
もしかすると違う編纂の班を幾つか買うかも知れない。

わたしと平均律とのご縁は当分切れそうもない。