セオリー楽典ワークブックレベル4

ピアノは習って弾けるけど、不思議なことに読譜が出来ない。楽譜というものの論理が把握出来ない。

そのような声にお応えして、五線ノートは無料配布してでは、これで読譜のお稽古と論理を学習いたしましょう。と、思い立つはいいが、わたし自身がさて、どのような切り口で進めたらいいものか?

待てよ。わたしがそんなに頭悩ませなくてももう21世紀になろうって(導入期はまだ20世紀だった。)今、子供学習者向けの楽典教材はいくらでもリリースされているであろう。

そこでわたしはバスティンピアノベーシックスシリーズのピアノを本来のピアノのレッスンそしてセオリーを楽典教材として小学校の学習をするが如く、ト音記号書きましょう。大譜表のカッコを書いてみましょう。Andanteから速度の遅い順番に番号をふりましょう。を学習。

そんなの、ピアノ習っているうちに覚えないか?という疑問があったのですが、ピアノは弾けても理論は全然知らない。ということはおうおうにある。このセオリーの研究会に出席した時は、中にはピアノは弾けてもト音記号をなんて読むか分からない。という、ケースさえあるので「こんなの教えなくたって分かるだろう。」という思い込みは捨てて、音部記号から学習することスルーしないようにいたしましょう。と、習いました。

こシリーズはピンクのプリマーレベルから始まって、紫のレベル1、青のレベル2,緑のレベル3,そして最後は黄色のレベル4。これが終了すると、晴れて初級は卒業。ブルクミュラー25もしくはピアノの練習ABCあたりに進化を遂げます。

だが、このシリーズのセオリーも可愛いのは緑のレベル3くらいまで、レベル4に進んだあたりから、副教材もいわゆる「バイエルで弾けるナントカ」から突如レベルアップした曲が弾けるようになるのですが、楽典問題だって進歩を遂げます。


これです。もちろん、今までの緑のシリーズと一緒で新しく出てきた調性の音階を書いてみましょう。基本3和音を書いてみましょう。の切り口ですが、それまでのドとレの音程は2度、ドとミの音程は3度。それじゃドとファは何度になるかな?ドからファまで鍵盤がいくつあるか数えればわかるよ!のようなノリじゃなく、長3度に短3度、完全4度に増4度。と、いった楽典の教科書に載っていたような内容となるのです。

更に、新しく出てきた音階の音符玉を書いてみよう!は、そのままだが、この長音階の同主調はの調号は何?次の調の平行調と同主調は何?長音階の全てつまりⅠからⅦまでの和音のコードネームは?ディミニッシュコードは?オーグメントコードは?

それ、分からなきゃピアノは弾けないの?ということはありません。わたしなんかこんなことさっぱりわからないまま、ベートヴェンだってショパンだって弾いてました。このような理論はじめてまともに学習したのは音楽科高校受験しよう。って、中学3年の時です。

今だって、面倒な理論は後からまとめて丸覚えすりゃいい。って考え方無いわけじゃありません。

じゃ、適当なところでセオリーやめるのか?というと、やめるのもアリかもしれないけれど、わたしはやめません。セオリーとともに歩んだピアノのほうは卒業してしまって、セオリーの問題集ばかり残ってる。ということもおうおうにしてあるのですが、1問づつでも解いていくようにしています。

全部理解しろ。とは言いませんが、調性や和声のことは役に立ちます。基本3和音なんて現代曲やるには役立たない。なんてのは極論で、元はそれでも古典。基本3和音で構成されている古典曲みるのどれだけ早いと思う。

わたしなんか調性全然教わらず、酷いときは黒鍵弾く音符に全部○つけられて、ホラこれならアフォなあんたでも分かるでしょ!扱いされ、だっから調性の説明なんでしないのよ?!

だが、当時はこれが標準で小難しい楽理なんざオコサマには無理さ。理解不能な難しいこと教えると、ピアノが嫌いになります。いえいえ、理論さっぱりわからなくて弾いてるほうが余程嫌いになると思いますがね。

だが、全てには個人差。というモノがあって、楽典のほうが辛気くさい?!!ピアノのお稽古より好きでセオリーのほうがチャッチャと進んでよくその年齢でここまで理解するものだ!君はエラい。という生徒もおります。

この手のワークブックは学校でもはたまた塾でもさんざやらされて食傷してるんじゃないか。という配慮からうちではどうしてもセオリー遅れ気味になるのです。ツェルニー30番くらいまで進んで、なかなかな名曲に手が届いても黄色のセオリーは上げてない。感性で弾ける人はそのようなこともあるのです。

また、このセオリーで学習するコードネームの観念が分かるのはとても応用が利きます。昔のピアノレッスンのように難曲は弾けるようになっても簡単な1段譜の唱歌の伴奏すらつけられない。リトミックの伴奏も出来ない。このような事態を避けるためにも、セオリー嫌いの生徒には1問ずつでも解いて行くようにしているのです。

発表会のプログラム

7月の発表会に向けて続々と演奏曲目が決まっている。出来るだけ曲目をバッティングさせないために、希望曲がある場合は早めに決めてももらう。早い者勝ちだからだ。

わたしの教室は夏も冬も発表会のプログラムはわたしが自分で作っている。作り方はその時期とピアノの発表会に相応しいイラストを、イラストボックスから使わせていただきます。とおことわりしていただいてくる。

うちのプリンタはA4までしか入らないので、そのサイズで間にあるように調整してワードを横開きの2段の段組にする。表紙側の右の方の段組の真ん中に夏ならば「夏のピアノコンサート」のような字を入れてその下に、会場名、日時をいれる。左の裏表紙になる部分にはイラストを入れたり、隅に小さく生徒募集中といれることもあるし、昔は簡単な地図も入れた。今は地図はあまり入れない。ワケはスマホが普及したのであんまり必要がなくなったからだ。

イラストを選んで配置考える表紙作るのは楽しい作業だが、わたしが苦手なのは氏名と曲名を入れていく内容側の入力、これはオペレーターの力量が試されるところなんだろうが、順番のナンバーをふって、氏名を太字にして段を変えて曲名と作曲者名を入れる。

途中、あらあらこの曲誰が作曲したんだっけ?の膠着状態に陥る事がある。たとえばジングルベルって作曲者誰?冬になれば思い出す、のではなく冬になるとキチンと調べる。

作曲者名はとにかく、フォントサイズをいくつにするとか、どこ太字にする。そして曲名や作曲者名が長いと、改行してしまう。バックさせて元に戻すと何故か行間が空きすぎる。というアクシデントに見舞われる。

もう、ウデのいいオペレーターならばあっああっ、という間に入力しちゃう作業なんだろうけれど、ワードの機能を真面に把握していない無能オペレーターのわたしは(最近は慣れてきて焼き直しが効くようになってけど)けっこう手こずります(T-T)

それを、有隣堂で買ってきた厚手のA4用紙にキャノンMG3630でプリントアウトする。これなら、直前に「やっぱり、出られません!」「やっぱり出ます!」言われてもプログラムの対応は出来る。曲目変更されても怖くない。わたしが打ち直ししてキャノン働かせりゃいいのだ。

このように自作プログラムはメリットも多いのですが、欠点は所詮素人デザイナーに無能オペレーターの仕事、そしてA4までしか入らない安物の(だがキャノンよ重宝してますぜ。)プリンタしかない設備。クオリティの高いプログラムとはお世辞にも言い難い(T-T)

クオリティの高いプログラムを作成するのならばやはり、プロに頼むしかない。と、考えていたところ、びっくりするような事態が発生。なんと舞台のプログラム専門会社のチラシ+冊子がポスティングされていたのだ。うちの、ピアノ教室生徒募集中の看板見てポスティングしたに違いない。

だが、まぁローラー作戦というような無作為にポスティングするのと違ってずいぶん効率悪くてポスティングする相手選ばなきゃならない作業だな、と感心した。

だが、ポスティングを甘く見るな。これまた驚くほどの効果があるのだ。わたしはこの冊子保存しとくことにした。経費節減と急場の対応のため相変わらず発表会のプログラムはわたしが作る。じゃ、自分のリサイタルのポスターや(ポスターもこの会社はやってる。)プログラム作って貰うの?それは何時になるかわからないし、そもそも実現しない可能性の法が現時点では大きい。

わたしが着目したのは、チケットをクオリティの割にはずいぶん割安に作成してくれるみたいだからだ。発表会にチケット作るのか?と、わたしも思ってたが、会場によっては入場無料の音楽会でもチケット発行することを推奨するところがあるのだ。

それも同じ絵をいくつも貼り付けたのプリントアウトして切ればいいじゃない。と、わたしは以前考えた。それで名刺を作ろうと企てたのだが、まず無能オペレーターのわたしは配置が上手くいかない。なんとか、名刺の元を並べてプリントアウトして裁ち鋏で切り落としたのだけれど、裁ちばさみというのは布を切るためにあるもので、厚紙切るには適してないらしい。くたくたの名刺が出来たのよ(;。;)こんなの恥ずかしくて人に渡せるか!

なので、名刺は印刷屋さんに作ってもらいました。

なので、チケット発行するならばプロの手は必要だ。

いずれ、この冊子役に立ちそうなので今日はよく眺めて検討しようと思う。

横浜市からの果し状再び

今日は、レッスンは16時30分から昼過ぎに歯医者にいく。つまり、今日は比較的よく言えば楽、悪く言えば流行らぬ日。

実はこのブログも当初は書くつもりがなかった。ところが歯医者に出発前に家電にかかってきた電話。わたしがピアノレッスン関係で所属している研究会から。

わたしの運転免許証をコピーして郵送して欲しい。との依頼、それはかまわぬがいったい何事が起きたのだ?

それはこうだ。わたしの所属する研究会は年に2回イギリス館で発表を行う。イギリス館は横浜市のものなので、市の規則に則って貸し出しを行う。そもそも、その横浜市の所有物である会館(わたしなんかの場合はコンサートホール、及びサロン)を借りるには5人のお仲間を集め、その住所を明かし本人であるという証明をしなければならない。

わたしはお仲間を5人も集められないので、わたしの教室の発表会はイギリス館も関内ホールも、吉野町市民プラザも使わせてもらえない。

これだってそうとう酷いと思う。町の音楽教室の主催者はほぼ全員個人事業主なのだ。生徒の親説得しろ。ってことなんだろうけれど、それとこれとは話が別だろう。もしくは5人や6人講師雇える規模にしろ。ってことか?

横浜市より貧乏だと言われる神奈川県立だって、中区の会館だってこんな仕打ちはしない。5人も人集めして、身分証明書提出したりしなくても、ちゃんと抽選に行って当選して会場費払えば使わせてくれる。

話元に戻して、その横浜市に提出する書類はわたしはもう提出した。

なんで今頃になってまた提出しろっていうのか?

更新時期で、更に言えば審査があるので審査に通らなければわたし所属の団体ももうイギリス館は使えないんだと(O_O)(ついでに他の会館も)

あんまりじゃないか?わたしの教室が使わせてもらえなくなったのだって十分に酷い仕打ちだと思っていたのに、、(T-T)立派なパワーハラスメントじゃないか。

わたしは横浜市に滞納せずに高い市民税払ってきた。会館借りるのにズルしたことだって、会場費踏み倒したことだって1度もない。規則違反して、大音響の出る楽器持ち込んだことだって、、!!!全部1度もないわ💢

更に言えば吉野町市民プラザに頼み込まれて、吉野町市民プラザの催しのチラシを置いている。その教室を提供しているわたしは吉野町市民プラザはそもそもお仲間集めが下手で使えないのだよ。

もういいよ。明日の仕事は吉野町市民プラザに電話してもうチラシを送らないようにして貰おう。市の行事に尽力しているつもりなのに、市はそのわたしを閉め出すのだ。

今日この時間だって3月に行われる研究会に向けてぼちぼち本気モードでピアノ練習しようとしてたのに、、。心折られたな。

それくらい折れる心だから、横浜市だってコンサートホール使わせてくれないのさ!て、言うなら言えよ。発表する場から閉め出されよう、って時に音楽にのめり込めるほどわたしは芸術家じゃないわ。

とにかく、市はわたしに果し状なんて送ってるつもりないだろうけど、わたし的には酷く横浜市から挑まれた気分。横浜市よ。そんなにわたしが嫌いか?

大人のピアノレッスン~バイエル

わたしは子供初心者のレッスンにバイエルは使ってない。もっともわたしは「バイエルを辞めよう。バイエルは楽しくない!もっと楽しいピアノの本があるよ!」みたいなコピーは使わない。

わたしがバイエルを子供特に、就学前の子供に使いたくないのはわたしのピアノレッスン暗黒時代のトラウマがあるからで、バイエルを教材として日々、訳の分からぬことをほざく大人に苦しめられて泣かされたからだ。

だがこれは当時の大人どもが悪いので、バイエルのせいではない。

それと、わたし世代の親はわたしの親世代の親より、センスがあるので「ピアノは弾けていてもどうも理論的なこと、つまり楽譜というものが理解出来てないみたいだ。」という、声が多く。

わたしは「難しい理論はピアノを嫌いにするので、理屈はもっと大人になってから考えりゃよろし。」とは、考えない。そもそも、その昔バイエルと暴君としか思えない大人とともに歩んだ暗黒時代。ピアノが嫌いだったのは、理論をさっぱり教えてくれないで、訳の分からぬ楽譜を見せられていたからじゃないかと思う。

なので、楽理をコミで教えて楽譜を自分で書いてみる教材と指導法に替えた。

だが、ピアノを習うのはお子様だけではない。成人でも経験者の場合は、それまで使っていた教本を引き続き使えばいいのだが、サラの初心者の場合、ドをいっぱい書いて覚えましょうね。フェルマータの意味は?フェルマータここに書いてみよう。

でなくて、(人にもよる。)いい気がしてきた。何故なら、大人は抽象的思考が出来上がっている。幼児のように2つと3つ、数が数えられるかな?○は書けるかな?1から5まで書けるかな?アルファベットのAからGまで読めるかな?ひらがなは?、、、。なんてことから始めなきゃならないことないだろう!

そう、大人は言えば分かる。拍子記号の4分の4は「えーと、分数はもうやってる?4分の4拍子は、4つにわけた中の4つじゃなくて、4分音符を1拍と数えて1小節に4拍入ることだよ。だから(音譜カード見せる。)2分音符だとリンゴが2個、つまり2拍分だよ。」このような理論もくどくどカード使ったりして説明しなくてもたちどころに理解してくれる。

だって、大人はわたしなんかがすっ飛ばしてしまった難しい勉強を終了、あるいは未だ履修中なのだ。

最近になって、大人の生徒さんの一人がバイエル持っているから、と言ったのでそりゃもったいないから使おう。というので使い始めてわたしも心が動いた。

使ってみるとやはりロングセラーなだけあって、バイエルは優れた教材だ。曲がつまらない。とか、古くさい。というのは、入門もしく初級教材の宿命でもあって、作曲するほうだって創作意欲の赴くまま、もしくはウケ狙って作ってるわけじゃない。この単元はこの技法、音楽を修得するための曲目。なるべく楽しい曲作りしようたって限界はある。朝ドラの主題歌弾く事に情熱を燃やしてる生徒にとってはどの教材使ったってつまらない筈だ。

また、この作曲家フェルディナント・バイエルは1803年の生まれ、没年1863年。死んで何年経ってるんだ。(156年です。)これは古いのは仕方ない。また現在の子供事情ともずれてるのも仕方ない。

どこが子供事情とずれてるかというと、最初のころのドレドレドーーーーはいい。指番号や音符の関連性はカードやノート使って教えればいいのだ。全音符で弾いて先生と連弾する。ほれ、なかなか楽しく構成されてるじゃないか。8番の曲、先生と連弾するドミドミソドドドなんか、音数少なく音域も限られた中でなかなかの美しい名曲じゃないか。

だがだ!(T-T)困るのは途中からやにわに、正確に言えば45番くらいから、突如難しくなって、曲もながーくなる。100番101番あたりになると、これをわたしは齢4歳5歳で弾いてたのかよ(・0・)と、思うとあ然とするくらい曲は長く複雑。フン、泣かされた筈だわ💢

ここが、大人もしくは子供の範疇に入っててももう中学生、高校生になっててやる気満々でレッスンを始めた生徒にはいいのではないかと思うのだ。

なんで?!って、大人はもしくはティーンエイジャーの少年少女は幼稚園児、小学校1,2年児に比べて集中力も体力もあるのだ。本人の目的意識もはっきりしている。

だが、このバイエル↓


よりは

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この古式ゆかしい子供のバイエル(上巻は赤、昔は赤いバイエル黄色いバイエルのどこ!が上達の指針だった。)がお奨め。子供のと、書いてあるのが難点だが、大人でも初心者の場合は音符は大きめの方が読譜しやすい。

また最近は世の中が進んでいるので

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このような独習用のバイエルも出ている。もちろん子供向けも多数、手を替え品を替え出版されている。

なお、保育園の先生になるための大学及び学校の学生はたいていはバイエルを携えてやってくる。

相対音感のお稽古しましょ!

わたしは3歳から5歳くらいまでのお子さんは、音感教育に適正な時期です。この時期はメキメキと音感が身につきますよ!と、いったコピー作って近隣の小さなお子さんに音楽のお稽古を考える皆様にアピールして、我スタジオラッキーキャットの功績を世に知らしめ教室の繁栄を図ろう画策したことがある。

だけど、このコピーはボツにした。

そんなの誇大広告よ。って、訳でもないのだけれど、わたしの経験値からすると何割がたかの子はメキメキ音感が身につく、だが、何割方かはもっと時間かかる。更に何割かはドレミ♪ハイ♬ドミソ♪ハイ♬やらなくても先天的音感(絶対音感でも相対音感でも)持ってるのだ。

だが、この文をチラシ、看板に載せるのはあんまりgoodとはいえない。これじゃキャッチコピーじゃなくて論文に近い。

そして、大昔のコピー。4歳からピアノを習えば全部の子に絶対音感が身につきます。この時期を逃せば音感は身につきません。というような、ホントだな?!あんな時代だったから許されたんだ。いまだったら訴えられて敗訴するわよ。

かく言うわたしはこのコピーで深く傷ついた。4歳から泣き泣き(T-T)ピアノ習わせられたあげくわたしはピアノで何処の音鳴らされても、ドかレか分からない。という音感のなさ。

あのコピーが大嘘なのか、それともわたしは余程鈍いのか?

結果から言うと、3歳4歳でピアノ習わせても絶対音感は身につきません。絶対音感型の人間というのは少数派で、相対音感型の子に絶対音感身につけさせたかったら絶対音感のための音感レッスンを受けるのです。

自然に身につく。としたら相対音感の方で、相対音感は基音に対して次の音が分かるアナログ型の音感のことで、これはお歌や簡易聴音、採譜のお稽古で人によっては素速く、人によってはノンビリ身についていきます。

わたしの母は相対音感が訓練受けなくてもありました。わたしの息子も相対音感がもとからあって、3歳で相対音感が身につき始めていました。

わたしだけ元からの相対音感ないのですが、それに加えて4歳からのピアノのお稽古で音感の訓練どころか音感混乱させてしまったに違いないのです。

つまりはわたしの当時のピアノの先生とわたしの母は譜面見ろ譜面見ろ、とギャンギャン喚き、わたし恐れなして何が書いてあるんだからわからない。更にはダサいイラストにうんざりしながら楽譜見て、ほれそこが間違えた。譜面なんて書いてあるの??!(知らないよ💢)ちゃんと見なさい。(見てもわかんないよ💢)と、このようにいじめられ、おかげさまで手を見ないでピアノを弾く事は達者になりましたが、少しはこのメロディーはこんな風なのよ。歌ってみて、聞いてみた通りに弾いてごらん(#^.^#)くらいの指導してくれりゃ、なにも子供のためのソルフェージュで音当てしなくても相対音感が身についてきたものを(T-T)(恨むからな😾)

更に、読譜の練習といって先生が書いた音符読まされたですが、これまた読譜のためには役だったのかもしれないけれど、例えば5線譜にドミソと書いてある。わたしドミソと読む(わたしは読譜のほうが苦労していない。)そこまではいい。だが、ドミソであってても音高を平気でドレミで歌っててハイ♬良く出来ましたパチパチ!良く出来てない。読みは合ってるが音高は間違ってる。ちゃんと正しい音の高さで歌わせなきゃ音感が混乱する。このようにして、わたしの音感は混乱しまくりました。嗚呼、ピアノレッスン暗黒時代。

音感は6歳がタイムリミットでそれ以降頑張っても無理だよ。ってのも、そんなことはありません。更には困ったことに音感無くてもピアノは弾けるようになりました。

だいたい音感のなさにわたしが気づいたの14歳にもなってからで、そこから正規のというか真面なソルフェージュ教育受けたおかげで混乱の修正と相対音感の育成はなんとかなりました。

今は昔と違って聴音や視唱の独習用CDというモノが販売されています。かつてのようにどうしても聴音の練習には人手借りなければならないのとは違って便利な世の中です。


ただ、わたしは使ったことはありません。

このような音大受験向けの教材はとにかく、5線ノートにピアノで弾いた音符を書いていく聴音、例えばチューリップみたいなお歌を咲いた~♬ではなくてドレミで歌っていくといったレッスン。これ、音感ある人はこれくらい出来りゃもう音大受験レベル(たぶん)だからそろそろヤメにしてピアノに専念してもいいよ。っても、聴音のレッスンしたい。と申し出てくれるのです。つまりは出来るから楽しい。

でも、6歳のタイムリミット、次は8歳のリミットでも「どーもねー。今ひとつ今ふたつ。」な方でも、これ週に1回続けているうちに、アラ不思議分かるようになった。時間はかかってもちゃんと学習の効果は出るもんだ。と、ほくそ笑む日が来るのです。

絶対音感のほうはレッスンの仕方が違うのでなんとも言えないし、わたしは原則絶対音感のレッスンはしていないのですが、相対音感はしなくっても分かる人は分かる。音がなってるのは分かるけどピアノのどの音だかわからない子でも悲観するのはやめましょう。中年や老人にはタイムリミットあるのかもしれないけれど、子供や若い人ならば必ずや、ドがドに、ドミソミドがちゃんとドミソミドに聞える日が来るのです。